三千院の脇の静かな山道。 大きく描かれている「来迎院」の看板。 お腹も空いてきたけれど、せっかくだから行ってみようと歩きはじめる。 呂川に沿って、ついさっき訪れたばかりの三千院の境内の真横。 軽く息を切らせながら上り、やっと下ったと思ったら、また上ってる。 そして、更にゼィゼィ…。 前を歩くおじさんを必死に追いかける。 おじさんはなぜか、ひとりで来迎院へ向かっていた。 年齢は60歳くらいだろうか? 会社役員のような、ちょっと渋めのおじさん。 特に寺や自然に興味がありそうな気配はない。 なんなら、面倒くさそうな表情にも感じる…。 「なぜ、おじさんは一人でここに来たのか…?」 そんなことを考えているうちに、来迎院の門へたどり着いた。 観光客も多い三千院とは異なり、ここは随分と静まり返っている。 冬の乾燥した空気に、雪解けの水分が混ざって、辺りは一段とひん ...
2014年1月11日(土) 京都大原 三千院。 2日前の寒波が功を奏して?うっすら雪化粧をした京都大原三千院。 苔と雪のなかに、ぽっかりと顔を出す「わらべ地蔵」。 どんな表情で待っててくれるのか、想像をしながら、わくわく…。 2日前に雪が降ったおかげで、いい案配で、水分を含んだ冷たい空気。 朝の清々しい参道は、ピリッとした清い風と店の準備に追われるお土産店の店主さん。 ほっこりした京都の雰囲気と少し歩くと、現れる看板に心が躍る。 さて、大原のバス停を降りて、15分ほど歩くと、三千院門跡に到着。 新年の門松や飾りがほどこされたことで、 いつもより華やかな装いで迎えてくれているだろう正面の御殿門と 可愛らしい3人の大原女(おはらめ)。 いかにも1月の大原らしいこの風景は、きっと仏さまからのプレゼント。 感謝の気持ち ...
寺好きの旅人。 平日は、小さな不動産会社で奮闘するサラリーマン、 休日は、お寺、写真、お散歩、グルメ、おしゃべり。 毎月、欠かさない寺院めぐり。 随分と素材が溜まってきたので、記録をしていこうと思います。 まずは、簡単に「わたし」について語ってみました。 わたしは、田舎町のお寺の長女として産まれました。 築250年、珍しい茅葺き屋根の素朴なお寺。 土日は決まって、本堂から木魚とリン、お経を唱える父の声。 お通夜の日は、居間や台所まで人が入り浸り、自分の居場所がない異空間。 誰のお葬式かも分からないけれど、一応お見送りの時には手を合わせる。 家の郵便ボックスや本棚には、宗務庁から送られてくる檀家さま向けの冊子。 これを毎年お彼岸やお盆、年末年始などの決まった時期に、家族総出で内職する。 内容は、冊子とお札を封筒に入れて、檀家の皆さまに1件1件送付する。 いわゆるダイレクトメールである。 わたしの中で、冊子=内職の道具?みたいなものだから、 読むという意識が全くなく、実は中を開いて、読んでみたこともない。 また、お盆の施餓鬼や、鬼子母神の法要の際には、お父さんがいつもお世話になっているお寺のお坊さんが手伝いに来てくれていた。遠いところだと九州、関東でも群馬や栃木などから泊まりがけで駆けつけてくれていた。法要のときは、やさしいお坊さんのお兄ちゃんやおじさんが来てくれて、みんなが会話をしているなかに入って、話を聴くのが大好きだった。 そんな環境のなかで育った私。 だが、大人になるにつれて、わたし=寺の娘。 わたしって?個人としての価値は? 常につきまとう「寺の娘」というプレッシャーに耐えきれず、 東京へと飛び出した・・・ もうその頃には、お寺なんて大嫌い。 そんなこんなで、家を飛び出して、7年。 ふと訪れたひとり旅の「奈良・京都」。 たまたま関西方面に行くから、ついでに!と思って、 立ち寄ったこの旅がまさかの原点回帰?? こんなにもお寺にハマることになるなんて、思いもしなかった。 休日のたびに、どこかのお寺を訪ねて、心身の浄化をするしあわせな時間。 誰もが抱える日常のストレス。 お寺を訪ねるようになって、このストレスとの上手な付き合い方??ができるようになった気がします。 わたしの主観ではありますが、お寺の魅力をぜひお伝えできれば…と思っています。 皆様がご旅行に行かれる際などの参考になるような投稿を目指して、気ままにレポートをしてまいりますので、何卒、宜しくお願い申し上げます。 ...