法華寺のすぐ真裏。 ...なんだけど、ちょっと奥まっていて、とても静かな「海龍王寺」。 一番最初に佐保・佐紀路に訪れたのは、2013年の夏。 たしか、西の京から「暑い、暑い、」と独り言をこぼしながら平城宮跡方面へ、てくてく歩いてこのあたりを巡ったような気がします。スマホで地図を確認すると、このあたりなのに「まったく入り口が見つからない…」と法華寺周辺をぐるぐる周り、泣く泣く拝観を諦めた記憶があります。 そのとき、はじめて“秘仏”の存在を知りました。 法華寺・海龍王寺の十一面観音立像が、まさに“秘仏”、特別開帳の時にしか公開されないということで、秋にリベンジを誓い、11月のご開帳に合わせて、再訪しました。そのときは、なぜか割とスパッと見つかったこちらのお寺。「あのときは何だったんだろう…」と思っていましたが、10ヶ月経った今、やっと謎が解けました。 「8月 ...
佐紀・佐紀路の美仏巡り、次は日本史の教科書でも出てきたはずの「法華寺」。 時は、奈良時代。710年に元明天皇が、奈良へ都を移し、唐の長安をモデルにした平城京がつくられました。この時代に、中央集権の国家体制が確立し、天皇を中心とした政治が行われました。しかし、藤原氏の進出・画策により、天皇家および政界は、動揺の渦に巻き込まれていきます。 そこで、一番悲劇の死を遂げたのが、長屋王。天武天皇の孫で、幼い聖武天皇に変わって、政治を担当していたのですが、光明子の立后問題で自殺に追い込まれてしまいます。(光明皇后は、藤原氏の血をひく皇族以外の出身のはじめての皇后。藤原氏が権力を握るための陰謀。)その後、光明皇后の兄である藤原4兄弟が次々に病気でなくなったり、飢饉や天然痘が流行ったりと、世の中はかなり混乱した状態となりました。これを、長屋王の祟りだと恐れた政界の人々たち。 ...
奈良の仏像宝庫と言えば、平城宮跡付近の「佐保・佐紀路」エリア。 東寺は、貴族や朝廷の官僚屋敷が立ち並ぶ高級住宅地で、都の北側を通っていた道を指すそうです。さて、このエリア、わたしが奈良の中でも特に好きなエリアのひとつでもあります。住宅地や小さな農道を通って、人影もまばら。ゆったりと奈良を感じながら、お散歩をしていると、こぢんまりとした寺院があり、そこにお邪魔すると、なんとも素朴で、また美しい仏さまに出逢えるのです。 大和西大寺駅から?または奈良駅から?バスに乗り、一条高校前のバスを降りて、いよいよ佐保・佐紀路トリップのスタート。まずは、木々が生い茂る静かな古寺「不退寺」。 平安の六歌仙で有名な在原業平のお寺です。 在原業平と言えば、伊勢物語の主人公と言われています。天皇の孫という非常に高貴な身分ながらも、政権争い?血筋の問題?により、臣籍降下し ...
京都で、人気な観光名所としても名高い三十三間堂。 本日調べたトリップアドバイザーの中でも堂々の6位。 ご存知のとおり、あの千体観音堂の仏像の壮大なスケールは、いつも圧巻です。 さて、この三十三間堂ですが、中央の「十一面千手千眼観音」さまを中心に、左右に500体ずつ、合計1001体の仏さまが並んでおり、そのすべてがご本尊さまです。 三十三間堂の一番の楽しみは、やはり仏像鑑賞。 >>>>>御堂内の雰囲気は、蓮華王院 三十三間堂のHPでご確認ください。 150センチほどの、小柄な女性ほどの大きさの観音さま。その観音さまのお一人、お一人の表情や衣のシワの寄り方がまったく違うのです。パッと見は「みんな一緒じゃん。」と思うほどの巧妙な仏師の技術なのですが、よーーく見ると全然違う。 丸顔、面長、アジア系、切れ長系…ここに来ると、「必ず一体は自分 ...