黄檗宗の総本山「萬福寺」。
日本の三大禅宗、臨済宗・曹洞宗に次ぐ黄檗宗は、江戸時代初期(1661年)に、中国福建省から渡来した「隠元隆琦」禅師によって伝えられました。

隠元和尚といえば、あのインゲン豆を伝えたという説が有名ですね。

さて、ここ萬福寺で、特に有名なのが、この仏像。


天王殿の布袋さん…。
日本の寺院では、なかなかお目にかからない天王殿。中国では一般的に、四天王・弥勒菩薩・韋駄天が祀られています。

なぜ、布袋さんなのか?
中国では、弥勒菩薩の化身が布袋さんと言われているそうなんです。弥勒菩薩といえば、わたし的イメージは、中宮寺の弥勒菩薩。女性的な柔和な笑みで、静かに世を想う姿を連想してしまうので、なんだかイメージが正反対。大きなカラダで、「わっははは!」と笑っていそうな布袋さん。現世に対する民衆の想いが、国によって違うということでしょうか?四苦八苦で耐え忍ぶ現世より、大笑いしながら楽しむ現世のがいいかも…。

と想いつつ、マジマジと萬福寺の布袋さんを見ると、金袋を抱えたニヒルな笑み…。
うーーーん、金に貪欲か???現世らしい…。

崇高な仏さまを目の前に色々な想いが交錯します。ふふふ…。

布袋さまの裏にいらっしゃるのが、韋駄天さま。布袋さんとは、正反対のシュッとしたお顔立ち。少年のような、気品溢れる皇子のようなお顔立ち。こちらも素敵な仏像ですが、布袋さまに想いを巡らせすぎて、カメラに納めることをすっかり忘れてしまったようです。

そして、もうひとつ萬福寺で有名なのが、木魚の原型とも言われる「開版(かいぱん)」。今まで木魚は円型のものだと思い込んでいた私は、字の如く、魚の形をしていることに驚き…。


なぜ、魚の形なの??
魚とは日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間も惜しんで修行に精進しなさいという意味で、口にくわえた丸いものは煩悩を表わし、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いがあるそうです。眠気覚ましの為に一定のリズムを刻んでいたとも言われています。今でも時を報ずるものとして、実際に使われています。


何度も何度も叩かれたであろう、この傷跡が歴史の深さを感じます。

儀式・作法・建造物に至るまで、中国の明朝様式を取り入れており、より中国色が強いことが見受けられます。特に、風化が激しく色褪せた装飾品や仏像の姿が、どこも白っぽく退色していて、日本のお寺とはまた異なった印象です。




この萬福寺の中で一番大きな本堂が、「大雄宝殿」です。
日本では唯一チーク材を使用した歴史的建造物で、本尊は釈迦牟尼佛です。そして、両脇にずらーーっと並んでいるのが、十八羅漢像。羅漢像といえば、十六羅漢や五百羅漢をが有名ですが、ここは十八。+2名は、諸説あるらしく、定まっていません。

ご本尊と脇侍の二大尊者にご挨拶をして、一人ひとり羅漢さまを眺めていると…

ななな、、、、、なんと!!!!!


心臓から、ほとけさまが覗いてる!!!!!!
ちょちょ、ちょっと、、、怖すぎでしょーーー。。

ラーフラ尊者は、十大弟子の中で「密行第一」としても有名で、お釈迦様の実子です。釈迦の子として注目を浴びることを理解して、人一倍の努力をした人と言われています。

実は、このポーズもラーフラ尊者の特徴のようで、「修行によって得た真実の悟りを見るように」と自らのお腹を切り裂いてみせた姿をあらわしています。私たち一人ひとりにも、「心の中に仏さまがいること=自分自身の本質とは何か?」を教えてくれているのではないでしょうか?

     



日本最初の寺として名高い、飛鳥寺。
元々は法興寺、元興寺とも呼ばれ、日本に仏教を取入れた蘇我馬子が発願し、推古天皇が創建した、日本仏教のはじまりと言えるお寺です。


平城京遷都の際は、ならまちにある元興寺に移転されています。
その際に、飛鳥寺の瓦などの建築部材も再利用されているので、日本最古の瓦は元興寺の瓦屋根にあります。



飛鳥寺が、風情豊かな田んぼが広がる明日香村に位置し、こじんまりとしたお寺の境内が心の落ち着きを取り戻させてくれます。ちいさなお寺という印象の飛鳥寺ですが、近年の発掘調査によると、創建時は壮大な伽藍があったと言われています。塔を中心に、東西と北に金堂を配置し、その外側には回廊をめぐらせた、本格的な寺院であったそうです。


当時の庶民は、古墳時代の竪穴式住居。土器や石器を使用していた時代です。
そんな時代に瓦屋根と大きな伽藍の建築物ができて、とても驚いたことではないでしょうか?

さて、飛鳥寺と言えば、日本最古の仏像。


日本仏師の祖、鞍作鳥(止利仏師)が制作したと言われる飛鳥大仏が有名です。
平安・鎌倉時代の度重なる火災によって、全身被害を被り、後に補修も受けていますが、概形にも細部にも飛鳥彫刻らしい特色が残っています。

また、この大仏は、仏像マニアには嬉しい「撮影可」。
今まで民衆に守られ続けた仏像だから!と撮影を開放してくれているそうです。望遠レンズで細部まで覗けるのが嬉しい限り…。


元祖アルカイックスマイルのお顔立ちは、まだシルクロードから渡ってきたであろう西の血を感じます。目元は、飛鳥彫刻ならではのアーモンド型?杏目形。一般的に、日本の仏像のお顔は、左右対称ですが、こちらは左右非対称。右から、左から、全くお顔の様子が異なります。


まずは、右から。
左に比べると、目尻がスゥーーと長く、口元がキュッと締まっています。


対して、左は。
右に比べて、丸い印象の目元と右に比べて、ちいさな口元。柔和なやさしい表情です。
飛鳥大仏の写真は、だいたい左からの画が多いのも、なんだか納得…。


おおきなお耳で、多くの声を聴き、おおきな手でお救いくださる慈悲深いお釈迦さまです。また、なぜか正面ではなく、少し右向きに鎮座されている大仏さま。聖徳太子誕生の方向を向いて、1400年間飛鳥の地をお守りされています。

大仏さまの脇侍であろう観音さまや光背は現存せず?、お釈迦様のみ。
ただそこに、お釈迦さまだけがいらっしゃるのが、なんとも素敵な風情です。

境内に出ると、鐘楼や観音堂があります。



ふと、観音堂を覗いてみると、なんとも不思議な聖観音さま。
か、、可愛すぎる…。


思わず、目を疑ってしまう、アメコミのキャラクターのような目元。こんなことを申し上げてよいものか?爬虫類系の表情に思わず、顔がほころびます。



実は室町時代以降、荒廃してしまった飛鳥寺は江戸時代に再建されます。
この観音さまも江戸時代に制作されたようなので、そのときからいらっしゃるのでしょうか?
圧巻の飛鳥大仏のあとのコミカルな観音さま。
この聖観音に会いにまた自転車を走らせたくなる、愛嬌です。



飛鳥寺を出て、80mほど行くと、これまた田んぼの中にポツンと首塚が…。
大化の改新によって、滅ぼされた蘇我入鹿のお墓があります。蘇我馬子が発願したお寺のすぐそばに、入鹿の首塚。


「感謝を忘れて、自分の欲得に走った挙げ句…どうなるのか?」

陰陽?のような相対を感じた瞬間でした。

飛鳥寺は、掘れば掘るだけ遺跡がたくさん出てくると言います。
日本仏教のはじまりを大いに五感で感じる、飛鳥寺。また好きなお寺が増えました。