白毫寺。

, , No Comments

新薬師寺をあとにして、近くにお寺ないかなーと思って、出逢った、百毫寺。
百毫寺といえば、閻魔大王。よく仏像本にも出てくる閻魔さまに一目お会いしてみようと歩くと、意外と距離がありました。てくてく奈良の田舎道を感じながら歩いていると、おもしろい看板を見つけました。


「国鉄指定 嫁入り道具専門店」
よ、、嫁入り道具専門店??嫁入り道具って、名古屋独自の文化なのかと思っていたわたし。なんだろう?嫁入り道具って!三種の神器的なものがあるのだろうか?嫁に行ったことがないから、自分だけが知らないのか?しかも専門店って…。それだけで商売が成り立つのか?
んん?国鉄指定?なぜ鉄道会社指定なのか?謎の多いこの看板。


「白毫寺」と言えば、閻魔大王。
仕事のミスが多発して、ちょっと傷心の奈良旅…。何故か、足を運んでしまった最後の審判。会社でけっこー絞られているのに、まだ絞られるつもりか…笑。

仏像マニアの白毫寺の事前情報としては、閻魔大王のみだったのですが、実際に足を運んでみると、「ながめのよい花の寺」。ながめのよい?今までの道のりで、階段や坂らしき道はなかったような…まさか…。


はい。予想通りの階段地獄。
でも、キレイに舗装されているので、非常に昇りやすい。そして、清掃も行き届いています。東京に戻って来てから観た、いとうせいこうとみうらじゅんの「新TV見仏記」。ここに出てきた白毫寺の階段は、サイドの草木が階段に迫り出して、ものすごく鬱蒼としていて、あまりの違いにびっくり。人も少なく、石段も高さが低いので、わりと気楽に昇ることができました。2月の寒い時期だけど、カラダもあたたかくなって、いい気分。


石段を一歩一歩踏み進め、境内へ入り、振り返ると、なんとまぁこの景色!
南都一望。雲から覗く、光のカーテンがまた一層美しい。奈良、広いなーと思いつつ、古(いにしえ)に想いを馳せるわたし。勝手に碁盤の目を描き、平城京の姿を浮かべる、なんて楽しいひととき。奈良だからこそのワクワク感。


さて、まずは本堂にご挨拶。
こちらのご本尊は、阿弥陀如来。そして、脇侍には、勢至菩薩と観音菩薩さま。(と、、思いきや、文殊菩薩さまらしい…)
「わーーーーおっっ!!!」
阿弥陀さまを差し置いて、大変申し訳ないけれど、両脇侍さまに完全に釘付け…。中座スタイルの今にも動き出しそうな仏像は、ほんとうに穏やかで、今から閻魔大王から審判が下ろうとしているわたしに、おもてなしを施してくださるかのような、そんな佇まい。
京都の三千院での衝撃、今ここに蘇る。かつては輝いていただろう、金色の鎧を脱いだその御身体から滲み出る歴史の深さ。今まで、何人もの人々を癒してきたのだろうか?日常の出来事に傷心を抱えていたこの日、固まって緊張しきっていたカラダに何かあたたかいものが流れるのを感じた。


さて、癒されてばかりもいられません。
せっかくここまで来て、メインイベント「閻魔大王さま」にお会いしないというわけにはいかず、いよいよ審判の時を迎えます。閻魔さまが居られるのが、「宝蔵」。ちょっと怖いから、灯籠から覗いてみたりして…。



御影堂を覗いたりして…。




本堂に戻って、カエルの置物眺めたりして…。



そろそろ、油売るのやめて、行きましょう…。



入って、正面はお地蔵さま。そして、右に忿怒相でギョロっと「喝ーーーーーッッ!!!」と叫ぶ、閻魔大王さま。お地蔵さまに会釈をして、閻魔さまの下で正座をして、しばし座ってみる…。この日のわたしは、本当に落ち込んでいました。でも、大好きな奈良に来れていて、豊かな自然と大好きな仏像めぐりにふけっている。そのしあわせを「ふーーー」と感じつつ、見上げると、「ウジウジしてないで、気合いを入れろーー!」とか「なぜ、今こうなっているのか?キチンと自分自身と向き合いなさい!」と叱咤激励をしてくれている。それは怒っているのではなくて、慈悲によるもの。ありがたいなーと思った。新薬師寺の十二神将からはじまり、なぜか忿怒相ばかりの仏像めぐりになってしまっているこの日。きっと意味があって、今日ここにわたしが導かれたのだろう。

出典:http://tempsera.at.webry.info/200807/article_23.html

そして、後ろを振り返ると、またしても「閻魔さま」??


出典:http://westpublishing.sakura.ne.jp/hana25/?tag=ササユリ

だけど、顔が白い…。そして、右手には筆。わたしの心の内をすべて書き留められているな。「ホンマにしっかりせな、あかん。」心の中で、なぜか「ハイ」とうなづいてしまう。こちらは太山王坐像。閻魔さまと同じく冥王界の十王のひとり。閻魔さま同様、見事な迫力。「おまえのこと、しかと受け取った。東京へ戻っても、しっかりやっているか、見ておるぞ…」そんなことを言われた気がした…。

地獄の審判も終わり、外へ。2月の土曜日。観光客も1組?2組程度で、ゆっくり仏さまと心を通わせることが出来ました。そして、また元気をもらえる。何回来ても、奈良には、あたらしい発見と心のゆとりをもらうことができます。

そして、最後は石佛の路(せきぶつのみち)。
本来であれな、「石仏の道」と書いてしまいそうですが、この文字のセレクトも乙です。




風雨にさらされて摩耗された石仏は、屋内で大事に大事にされてきた文化財とはまた異なり、角がとれた柔和さと厳しい自然に耐えた、凛とした気高さを感じます。



もう、長年連れ添った老夫婦のよう。愛らしいです。
いつかわたしも結婚して、おばあちゃんになったら、こんな風になりたい。


そして、誰かが石仏さまにお供えした椎の実。こういう慈悲の心。ほんとうに心に染み入ります。実は、お猿さんやリスさんが置いてたり!?なんて、想像すると、気持ちも晴れやかにウキウキした気分になってきます。

すっかり心も晴れて、重かったわたしの心も身体もすっきり。きっと今日はここに導かれました、改めて、感じる。本当にありがとうございます。

「生かされて、生きている」

0 コメント:

コメントを投稿