法華寺。

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佐紀・佐紀路の美仏巡り、次は日本史の教科書でも出てきたはずの「法華寺」。
時は、奈良時代。710年に元明天皇が、奈良へ都を移し、唐の長安をモデルにした平城京がつくられました。この時代に、中央集権の国家体制が確立し、天皇を中心とした政治が行われました。しかし、藤原氏の進出・画策により、天皇家および政界は、動揺の渦に巻き込まれていきます。

そこで、一番悲劇の死を遂げたのが、長屋王。天武天皇の孫で、幼い聖武天皇に変わって、政治を担当していたのですが、光明子の立后問題で自殺に追い込まれてしまいます。(光明皇后は、藤原氏の血をひく皇族以外の出身のはじめての皇后。藤原氏が権力を握るための陰謀。)その後、光明皇后の兄である藤原4兄弟が次々に病気でなくなったり、飢饉や天然痘が流行ったりと、世の中はかなり混乱した状態となりました。これを、長屋王の祟りだと恐れた政界の人々たち。

これを仏教の力で鎮めようとしたのが、聖武天皇です。
そこで741年に出されたのが、国分寺の詔。各国に国分寺・国分尼寺を建立させ、なんとか国家の危機を救おうとしました。その国分寺の代表が、奈良でもっとも有名な東大寺です。そして、国分尼寺(女性のお坊さんのお寺)の代表が、ここ法華寺というわけです。


とても洗練されて、美しい法華寺の境内。
さすが、女性のお寺というだけあって、気品に溢れています。つい先ほど訪れた“不退寺”の風情とはまったく異なった印象です。


さて、こちらの法華寺。日本の歴史を辿るうえでも、重要な役割をもって、建てられた寺院というだけではなく、とても美しい仏像が安置されていることでも有名です。光明皇后をモデルにされたとも言われる、慈悲深い観音さまとは??


「十一面観音菩薩」さま。ふっくらしたお体と繊細な蓮華の光背がとても美しい観音さまです。白檀のやさしい香りがふっと包んでくれそうな、慈悲深いほとけさまです。
すこし肉付きのよいふわっとした長い手、すこし動きがあり、親指がクイッとあがった足は、すぐにでも駆けつけてくださりそうな印象を与えてくれます。

なかでもやはり一番驚いたのが、光背。
蓮華の光背を見るのもはじめてでしたが、その枝の一本一本の精巧さ。この繊細なお姿を見ていると、どうか災害に見舞われませんように…と願うばかりです。

いつもはお厨子の中で眠っておられ、レプリカでしか謁見をすることができませんが、年に数回ご開帳されます。そのなかでも、佐保・佐紀路の美仏のご開帳が重なるのが、春と秋のそれぞれ2週間ほど。せっかく奈良へ訪問するなら、秘仏公開に合わせて、訪問されることをおすすめします。



秋にはこのように、境内の紅葉と共にお寺の風情を感じる楽しみもあります。
どんな風に撮影したら、より雰囲気が出るか?研究をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。


夏は、夏でまた若々しい印象がとても気持ちがよいです。
境内が洗練されているからか、あまり暑さを感じず、涼しい印象があります。


境内の菩提樹は、お釈迦様が木陰で悟りを開いたと言われる木と同種で、臨済宗の開祖、栄西が中国から持ち帰ったと言われているそうです。大きく枝を伸ばし、大きな愛で包み込んでくれているような菩提樹。やはり母性のような大地を感じます。








重要文化財とされている、本堂、南門、鐘楼などの寺院建築もすばらしく、本当にずっと居ても飽きない。むしろずっと居たくなってしまう、やさしい尼寺です。






















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