寂光院。

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平安時代、平清盛の息女である建礼門徳子ゆかりの御寺として有名な「寂光院」。
平家物語ゆかりの庭園として、長年親しまれている天台宗の尼寺である。

京都大原の寺院のなかで、ぽつんと離れたところに位置する寂光院。
のどかな京野菜の畑を脇目に、バス停から徒歩15分の道のりをのんびり歩く。


鴨川の源流のひとつでもある「高野川」。
清くて冷たい雪解け水は、豊かな京野菜に彩りを与える大切な栄養。


焚き火をしながら、春の訪れを静かに待つ。
長い間、こうやって私たちのために作物を育ててくれている「人」がいるということ。
感謝の気持ちを忘れてはいけない...と改めて憶う。


さて、門には、やはりお正月飾りのしめ縄。
そこで、日本のお正月における「しきたり」が少し気になった。

この日は1月12日。わたしの生まれ育った関東では、飾りを外すのは、大体1月7日。
そして、15日に地域のどんと焼きで飾りを焼いてもらって、おしるこを頂くのが定番。

さて、関西は?
関西では、15日の小正月を迎えて、お正月飾りを外すのが一般的とのこと。

しめ縄は、清浄で神聖な区域があることを示し、災いをもたらす悪い神を寄せつけないよう「魔除け」の意味。古代から伝わる神道、稲作信仰から伝わる風習といわれている。

橙(だいだい)は、熟しても木から落ちない=「これからも繁栄しますように」
裏白(うらじろ)は、シダのような葉で裏が白い=「裏表のない清い心を持つように」
紙垂(しで)は、和紙でできた神祭道具で垂れ下がる稲を表現=「稲の力強さ」

こんな意味が込められているらしい。
やはり、日本の信仰は、古来からの神道であり、稲作、土着文化である。
でも、ここで他の宗教とは対立することなく、共存していくところがやはり日本らしい。


さて、またしても話が脱線してしまった...
ようやく到着した本堂は、なんだか建物が新しい。

「平家物語でも有名な庭園」
「あの建礼門徳子ゆかりの御寺」

んん??ちょっと想像と違う…

まずは、本尊である「六万体地蔵菩薩」さまに、お参りをさせて頂くことに。
とても新しいと思われる御堂に戸惑いを隠せぬまま、本堂の襖をガラっと開ける。

あ、あれーーー!!!!!???
「ものすっごい極彩色で、ものすっごい新しいお地蔵さま」

左手から五色の糸が下りていて、願いを込めながら、その糸を握りると、
お地蔵さまが縁を結んでくださる...らしい。

んんーーー。。なんだか胡散臭い。

寺院めぐり、仏像めぐりをはじめて、9ヶ月。
やはり、寺院の歴史ある建築や仏像から、なにかを感じながら歩み続けてきた。
昔は、彩色豊かであったであろうと想いを馳せながら、現在の趣きに風情を感じる。

それが、まーーったくない。

期待に胸を膨らませ、空腹も後回しに歩みを進めて来たわたしは、
少し...いや、かなり物悲しい気持ちになった。


い、いちおう、せっかく来たのだから...と、
庭園?茶室?にもシャッターを切るものの、まったく気持ちが乗らない。

そして、またしても、一応...の宝物館を訪れてみることに。
やはり、平家物語ゆかりの地ということで、琵琶法師のこと。
建礼門徳子のゆかりの品々と、平家との関係性についての書物が並ぶ。

あまり興味がなかったので、サラーッと流すと、大きな新聞記事が目に入った。
これが、わたしの落胆を、「納得」に変える新事実。

2000年5月9日未明。
火災により、本堂が全焼。
本堂内に安置されていた重要文化財である木造地蔵菩薩立像が損傷した。
警察の調べでは、何者かが灯油を撒いて放火をした疑いが強いと捜査を進めている。

そ、、そういうことかーーー。
わたしの落胆は、「本堂や地蔵菩薩の風情のなさ」から「火災の事実」へと変わった。

焼き払われる前のお姿を見てみたかった。
ただ、それだけ。
きっと、その事実が、最近のこと過ぎただけ。

興福寺も東大寺も東寺の五十塔も再建されたものである。
その再建からもまた月日が流れているから、わたしには分からないだけで、
きっと創建当時の印象からはまったく異なっているのかもしれないし。


逆にこの衝撃の真新しさが、すごく印象に残ることとなった寂光院。
そして、女性ひとりだからなのか、珍しく数珠巡礼の数珠玉を購入したからなのか、
受付のおじさんが、たったひとつしかない、貴重な御朱印!?というのを書いてくれた。



祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を顕す。

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