東大寺 大仏殿。

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2013年4月。
わたしの巡礼の旅がはじまった。

「清明」と呼ばれるその日は決まって、仕事をお休みさせて頂き、伊勢神宮を参拝する。
いつのまにか恒例となった家族行事であり、わたしの1年でもっとも楽しみなイベントのひとつでもある。

この年は、4月5日(金)。
帰りの電車を待つこの駅。


名古屋行きの電車を待っていると、交互に方面の違う電車がやってくる。

「ふーん、大阪まで行けるのかーー。」

いつもなら弾丸日帰りツアーなのだが、この日は金曜日。
ということは、次の日は土日なので公休の2連休。
うん、この絶好の機会を逃すわけには行かない。

調べてみると、この電車は「JR奈良線」。

「ふーん、奈良に行けるのかー。」
「中学の修学旅行でしか行ったことないし、奈良ってよく知らないなー。」
「うん、東大寺の大仏も久しぶりに観てみたいし、行ってみるかー。」

そんな軽い気持ちで、奈良行きを決意したわたし。



中学の修学旅行、わたしの地元は決まって、奈良・京都。
メインは京都になるので、奈良は大仏と法隆寺の境内をちょこっと入って、即移動。

だから、たいてい皆、奈良の記憶が薄い…。
もちろん、わたしも一緒。

でも、わたしの修学旅行の記憶の中で、拝観部門の1位は、

奈良だった…。

家族旅行で、京都の名所はひと通り網羅していたからなのか、
奈良がわたしを魅了したのか、、定かではないが、
昔も今も変わらず、拝観部門1位は「東大寺の大仏殿」。

中学の記憶を辿りながら、歩を進めることにしてみる。



わたしが小学校、中学校で一番好きな科目は、社会。
特に好きなのが、日本史だった。

奈良時代、聖武天皇が平城京に都を移した。
疫病の流行や飢饉。政治的にも不安定な状況が続くなかで、仏教に救いを求め、
国の財力と民衆の協力を求めて作られたのが「東大寺の盧遮那仏」。

全国各地から民衆が集められ、日本中の労働力が大仏建立に注がれた。
しかし、国力のほとんどを注ぎ込んだこの大仏建立PJによって、国家財政は困窮し、
50年も経たないうちに、都は、京都に移ることとなる。

さて、大仏はどうやってつくられたのか、図を見てみましょう。


「って、人ちっちゃっ!!!!!」
「どんだけ、大仏でかいのーーー!!!!!」

小学5年生のわたしは、随分驚いた…。
奈良時代のひと、すごい…。機械とかないのに…。

さて、その驚きの大仏が、実際に観られるということで、かなり楽しみだった東大寺。

はじめての野生の鹿との戯れ。


当時も現在も、鹿せんべいからの、、襲来は避けたいので、
ちょっと遠くから見守ってみる。

やっぱ、こんだけ居たら怖いでしょーー。

ちょっとすると、東大寺の玄関でもある南大門。
運慶のおおきな、おおきな金剛力士像が「あ」「うん」の呼吸で、お出迎え。


当時の記憶はまったく薄れてしまったが、改めて観てみると...

リアルでダイナミックな鎌倉時代の仏像。
おおきな身体に引き締まった筋肉。
強い風に吹かれながらも一歩足りとも動かない仁王像の姿。
かっこいいなーー。と惚れ惚れ。

お待ちかねの大仏までは、ただただ一本道が続く。
もちろん、観光客に飽き足りた鹿さん達もいる。
さて、やっと中門が現れ、心躍らせながら、くぐってみる…


「どーーーーーーん!!!!!」

当時のわたしは、実は大仏よりも、この大仏殿の大きさに度肝を抜かれた。
小さな田舎の温泉街で育ったわたし。
こんな大きな建物を観たのは、たぶん…生まれてはじめてだった。

「でかい、、でかすぎる」

この建物のなかに納められている大仏って?どれだけ大きい?
ってゆうか、なんなの?この建物…。

とつぜん、自分が「小人(こびと)」になってしまったかのような、
ちょっとわけがわからず、放心状態。

中門をくぐったあたりで、呆然としていたら、
学校の列から置いてけぼりをくらい、慌てて、走ったことをよく憶えている。

そんな中学3年生のわたしと現在のわたしを重ねながら歩いていくと、
大仏殿はすぐ眼のまえに。



この門扉からしても、やはり自分たちが魔法をかけられて、小人になったのかと思う。
さて、いよいよ盧遮那仏との再会。


やっぱりでかい…
しかも光背にまで、お釈迦さまがいる…


しかも、大仏は1体ではなく、3体…。
両脇に2体のおおきな観音さま。(完全にわたしの記憶から消えていた)
左が如意輪観音、右が虚空蔵菩薩。

如来像は単独のほかに、脇侍を抱え、三尊方式で安置されることが多い。
お釈迦さまを支える付き人が、菩薩である脇侍の役割らしい。

当時のひとは、盧遮那仏1体だけでなく、菩薩や天部までつくっていたのか…
わたしだったら、「もう、1個でいいじゃん、大変なんだから…」と言ってしまいそうだ。

きっと色んな意味があってのことだろう…。

大仏殿のなかには、盧遮那仏の大きさを体験できる「穴」がある。
子供ひとりがスルッと入れる穴。
それが、大仏さまの鼻の穴の大きさということは、身体がどれだけ大きいかが分かる。

ほかにも、4人の天部(持国天、増長天、広目天、多聞天)が安置されており、
この建物ひとつで、たくさんの仏像彫刻を楽しむことが出来た。


現在の金堂(大仏殿)は、江戸時代に再建されたもので、
江戸幕府の都合で、建物は当時のものよりも小さくつくられたとのこと。

これよりも大きかったなんて、考えられない…。

木造の建築物では、現在でも世界最大級を誇っているらしい。
やっぱり、この感動は、昔も現在も変わらない。

buddhism1209

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