元興寺。

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さて、奈良どこ行こうーーーー。
街のインフォメーションセンターで、どこかお寺がないか探しつつ、
ならまち方面に向かって歩いていると、ありました...「元興寺」。

ここは、日本最古のお寺?と智光曼荼羅が有名なこのお寺。
ん??日本最古は、アルカイックスマイルの仏像でおなじみの飛鳥寺では?
そう、実は日本最古のお寺は、現在の飛鳥寺が建立されている飛鳥が発祥です。
では、なぜ?

まずは、仏教伝来の歴史から紐解いてみましょう。
元興寺の開祖は、この人なくしては日本の仏教伝来は語れない…「蘇我馬子」

百済の司馬達等が伝えたのが始まりと言われている仏教。
当時強力な豪族であった、蘇我氏。
わたしの中では、ちょっと悪役キャラの蘇我稲目が仏像に感銘を受け、
仏教を積極的に受容したのがはじまりと言われています。

しかし、日本は古来から土着文化において、原始神事を崇拝してきました。
そこで新しく伝来した仏教を否定する廃仏論争が起こったのが、
「蘇我馬子」VS「物部守屋」の丁未の乱。

この争いによって、仏教に排他的な物部氏が滅亡し、
仏教の教えに基づいた中央集権の国家が形成されていくことになったと言われています。

なぜ、その飛鳥寺(当時は法興寺と言いました)が、この元興寺なのか…
どうやら、平城京遷都の際に、一緒に移ってきたようです。
当時それだけ大切に守られていたお寺だったからでしょうか?

これは、都が平城に遷都された理由とおおきな関係があると思いますが、
ちょっと調査が必要&長くなりそうなので割愛します...

そのため、ここ元興寺の極楽坊の瓦は、飛鳥時代のもので日本最古を言われています。


ところどころ色が異なり、修復もされているはずですが、
今から1300年以上も昔のものとはまったく思えないほど美しい極楽坊の瓦。

奈良時代には、国家鎮護を目的として仏教が重んじられ、
官寺として国分寺、国分尼寺の建立が次々に進められていました。

その中でも、興福寺と元興寺は、平城京の中心地のなかでも最も繁栄をしており、
現在の奈良駅周辺は、両寺院の領土であったと言われています。

わりとこじんまりとした雰囲気の「元興寺」ではありますが、
日本における仏教の歴史を語るにおいて、欠くことのできない寺院であることは
間違えないようです。

さて、ここで有名なものと言えば、さきほどもチラっと出てきた智光曼荼羅。
極楽坊の本尊さまの裏に安置されています。



曼荼羅といえば、密教で知られる「宇宙の真理」。
仏教の世界観において、宇宙を構成する要素を象徴的に表したものです。

曼荼羅の知識については、まだ皆無なので割愛をしますが、
この極楽坊の曼荼羅は、浄土信仰の中心として、後世に強く?影響を残したようです。


さて、少し固い話が続いたので、ちょっと息抜き。

お寺は、仏像をはじめとして、なかなか触れられないものばかり。
しかし、この佛足石は触れるとご利益のある石?なのです。
佛足石とは、お釈迦様の足跡を表現したもので、扁平足の跡、足裏の印など
よく見てみると、結構面白い…。

たしか、ここの受付のおじさんに
「佛足石にはお祈りしながら触るんだよー」って言われた気がする。


圧巻のしだれ桜。満開、ひとり占め。



この時は、ちょうど桜の時期ということもあって、
こじんまりとした境内ではあるものの、ゆっくりと楽しむことできました。

平安中期、律令制度の崩壊とともに、衰退をし始めたという奈良の寺院。
でも、国家プロジェクトとして繁栄し続けたお寺の貫禄たるは、言葉にならない。

ただ寺院を巡るのではなく、歴史的背景とともに辿るとより一層面白みが増していく。

buddhism1209


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