わたしが京都を訪れる目的は、やはり、「寺院めぐり」である。
日本の歴史とともに、お寺の歴史があり、国の政にも深く関わる諸寺院。
特に長い間、国の中心であった京の都の寺院は、壮大で奥深い。
寺院の信仰、歴史、役割、庭園、仏像、建物...。すべてにおいて、風光明媚。
そのため、いつもメインの拝観寺院を決めてはいるもの、その周辺を散策しながら、自分の好きな御寺を探している。
ここ雲龍院も、何気なく訪れた御寺のひとつ。
東福寺から民家を抜け、20分ほどあがると、泉涌寺の境内の裏に、雲龍院はありました。
建物自体はあまり大きくなく、こじんまりとした隠居寺院といった印象。
1月14日の泉山七福神めぐりに向けて、慌ただしく準備が進められていました。
いつもは台所にいらっしゃるという「走り大黒天」さまもこの日ばかりは、本堂龍華殿へのお披露目のため、少し場所を移動して...。
なぜか、とても勇ましく、激しいお顔立ちの大黒天さま。
大黒天さまと言えば、俵の上に乗り、大きな袋を担いで、にっこりと優しい笑顔。
玄関や台所で「食物・財福」をもたらす七福神の神様として、有名です。
...が、ここの大黒さまは何だか異様な雰囲気。ちょっと怖い...。
そして、この雲龍院のすばらしいところは、幾つもの生きる絵画。
まず、一番はじめにお目見えするのが、蓮華の間の「しきしの窓」。
この4枚の襖窓、見事に揃ったこの絶妙なアングル。
この襖を配置してから、庭園を作り込んだのか、いや、作り込んでもここまで揃うか。
でも、ひとつ言えることは、お庭に相当、御丁寧に手をかけ続けているということ。
ひたすら、「はぁ〜。」と感嘆の溜め息と共に立ちすくむわたし。
近づきすぎると角度が変わってしまうので、レンズを通して、じっくり鑑賞。
1枚目は、椿。
花は咲き乱れたところを想像するだけでも、うっとり。
2枚目は、灯籠。(うわー。。ピントが合ってない…)
後方に映る枝は、梅でしょうか?
3枚目は、楓。
すっかり葉が落ちて、ちょっともの悲しい冬の姿。
きっと秋には、煌々と赤い紅葉で人々を魅了することでしょう。
4枚目は、松。(これもやってしまってますね。。わたしの力量不足。)
冬=松。1月でとても縁起がよいのに、うまく表現できず…。
でも、この枝の少し垂れ下がっている姿。こうも美しく窓におさまるのかと思うと圧巻です。
こちらは、境内6カ所に置いてある「煩洗石」。
この石にそっと足を置き、境内の美しい景色で、心を清めます。
すごく粋?雅?な発想が、京らしい。
そして、次に向かうは、春の訪れが待ち遠しい「悟りの窓」。
手前から、紅梅、海棠、しゃくなげ。
2月〜5月まで順に、異なった紅い花を愛でることでしょう。
お庭の花々だけでなく、見事に季節を演出してくれている生け花。
華道家の清水南丈先生の美しい作品が、御寺に美しい華を添えます。
きっとこの御寺を守り続けるご住職とお大黒さまのお心の深さなのでしょう。
また、ここでは、好きなお部屋で、ゆっくりとお抹茶を頂くことができます。
この日、数珠を求めるがあまり、急いでこの御寺をあとにしてしまったことが、とても悔やまれます。
日頃のストレス?忙しさ?
日常の何か…で、少しバランスが崩れる己を正そうと、お参りをしているにもかかわらず、「はるばる京都まで来たんだから...」と欲張る気持ちが「あかんなー。」と改めて思う。
帰路につき、雲龍院について復習をしていると、こんなブログを見つけました。
→ 京都雲龍院 寺庭夫人のブログ
お寺の奥様のブログ。
お寺のお話はもちろんのこと、たまに出てくるご家族の話題がなんとも良い。
お寺と言っても、普通の家族。在家の暮らしと、そう変わることはありません。
とは言うものの、お寺の家族にしか分からない柵(しがらみ)もあるわけで。
なんだか、色々な想いに更けながら、自ら発信をする大黒さまに、これからのお寺の役割と展望を深く感じ入りました。
ここは、現存最古の写経道場とのことなので、次回はゆっくり庭園拝観と写経修行にまいりたいと思っています。
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