興福寺。

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日本最古の黄檗宗の寺院と知られている、興福寺。
長崎らしい唐風の朱色の山門は、「あか寺」として、市民に親しまれています。江戸時代初期に中国僧の真円が航海祈願のために、建立しました。



さて、長崎の興福寺と言えば、隠元和尚が中国からはじめて来日された際に、住持した寺院としても知られています。



当時、福建省黄檗山の万福寺が臨済宗の代表的な道場として活動していました。日本の禅宗の法式正伝が衰退していくなかで、本場の禅宗の日本伝承を願い、長崎三唐寺と檀家衆が中心となり、隠元和尚を招いたことが、今日の黄檗宗のはじまりです。



境内に入ると、ソテツが並び、日本の寺院とはまた異なった印象を受けます。興福寺の本堂である、大雄宝殿の瓦屋根も両端が跳ね上がっているところが、また異国の雰囲気を漂わせています。

過去3度の火災や暴風などによって、大破してしまった大雄宝殿。明治16年に再建され、現在に至ります。建築は、本場中国の匠によって建てられ、資材のほとんどもまた中国から輸入しています。中国南方建築の代表作として、戦前から国の重要文化財にも指定されています。





本場中国の伝統的な技術が、いかに繊細であるかを目の当たりにしました。元来、私たちが日本文化としているものも基を辿れば、中国がルーツであるものばかり。社会情勢や現在の国民意識も大きく影響しているので、中国産の製品というと敬遠されがちですが、古来からの中国の伝統技術をみると、中国の歴史と奥深さを感じ、また現在の日本の礎となる、さまざまなモノやコトを伝承してくださったことに感謝の気持ちが生まれます。




在日中国人たちのサロンとしても、親しまれていた長崎の唐寺は、出身地別に建立されました。ちなみにここ、興福寺は、浙江省江蘇省出身の信徒が多いお寺です。

特に、江戸時代初期の長崎は、朱印船貿易をはじめとした唐船貿易の奨励から、多くの中国人が長崎を訪れ、その数は、市民の1/6に至るほどであったとか…。

故郷を愛でながら、烏龍茶を嗜んでいたのでしょうか?


本場中国に行かずしても、唐文化を堪能できる長崎の寺めぐり。一風変わった長崎ならではの、異国のお寺をお愉しみください。

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