四天王寺。

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「そうだ!京都に行こう」と年始に深夜バスに乗り込んだものの、なぜか奈良へ向かい、京都から新幹線に乗って、東京へ戻る計画が、なぜか大阪に足が向き、ここにいます。

聖徳太子が建立したといわれる「四天王寺」
蘇我馬子が建立した飛鳥寺と並び、日本最古の本格的な仏教寺院として知られています。前日に飛鳥めぐりをしていた影響で、私の足がここへ向くことになったのでしょう。


聖徳太子からはじまった2016 年の年始。すこし四天王寺の説明をしたいところですが…、わたしのカメラに突如現れたおじさん。一見すると普通のおじさんですが、明らかに周囲の人と放つオーラが違う。とても気になる、ちいさなおじさん。すこし足早におじさんを追い越し、クルッと振り返ってみると、、そうでしたか…。大阪で、特に有名な吉本の芸人さんでした。なんだか、ご利益がありそうです。




日本の仏教の伝来といえば、蘇我馬子と聖徳太子の存在はかかせません。崇仏派の蘇我氏、一方の拝仏派の物部氏。両者に勝敗をくだしたのが、あの大化の改新です。聖徳太子は、大化の改新以前に、四天王を彫り、戦いに勝利したら、その四天王を安置のうえ、寺院を建立し、この世の人々を救済すると誓いをたて、四天王寺が建立されました。


ちょうど、このときは五重塔をはじめとした、中心伽藍の大改修で、工事のための大きな幕が所々に張られていました。うーーーん、残念。そして、雨が降りそうな厚い雨雲。荷物の重さも相まって、足早の参拝となりました。




創建当初は、すぐ目の前まで海であったという四天王寺。四天王寺の伽藍配置は、南から北まで一直線に、中門、五重塔、講堂、金堂が並びます。当時、西側は海であったため、中国や朝鮮などの諸外国に対して、権威をみせつけるために、このように直線的で大きな伽藍を建立したと言われています。

敷地面積は33000坪。甲子園球場の約3倍と言われるほどの広さ。一般の人々は、竪穴式住居で暮らしていた時代。そんななか、こんなに大きな建築ができたわけなので、さぞ驚いたことでしょう。


ここに来て、驚いたことは、 信仰の厚さ。明らかに観光ではなく、初詣に訪れただけでない様子の方々がとても多いのが印象的です。じっくりお祈りをされているお姿にしばし感動しました。


そのなかでも、わたしが気に入ったのが、ここの聖霊院。別名を「太子殿」といい、聖徳太子を祀っています。中心が乱が鉄筋コンクリート造りなのに大使、ここは木造建築なのです。


こちらのご本尊である聖徳太子像は秘仏となっていて、一年に一度、1月22日のみに公開されるようです。また、月命日である22日には縁日も開催されて、露店などが多数出て、にぎやかになるそうです。





ネコ?トラ?少し恐い表情の欄間。日光東照宮の招き猫を思わせるようで、近づいてみると少し恐ろしい形相で守っていらっしゃいました。ネコ好きなので、ネコのモチーフはついつい気になってしまいます。


連日の寺院めぐりで、若干疲れもあり、天気も悪くなってきたので、関西滞在期間を削減…。怒濤の年末年始からの深夜バスが身体にこたえたようです。仕事に影響を及ぼさぬよう、551HORAIの肉まんを買って、ぼちぼち帰宅します。




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