三千院の脇の静かな山道。
大きく描かれている「来迎院」の看板。
お腹も空いてきたけれど、せっかくだから行ってみようと歩きはじめる。
呂川に沿って、ついさっき訪れたばかりの三千院の境内の真横。
軽く息を切らせながら上り、やっと下ったと思ったら、また上ってる。
そして、更にゼィゼィ…。
前を歩くおじさんを必死に追いかける。
おじさんはなぜか、ひとりで来迎院へ向かっていた。
年齢は60歳くらいだろうか?
会社役員のような、ちょっと渋めのおじさん。
特に寺や自然に興味がありそうな気配はない。
なんなら、面倒くさそうな表情にも感じる…。
「なぜ、おじさんは一人でここに来たのか…?」
そんなことを考えているうちに、来迎院の門へたどり着いた。
観光客も多い三千院とは異なり、ここは随分と静まり返っている。
冬の乾燥した空気に、雪解けの水分が混ざって、辺りは一段とひんやりしている。
この雰囲気がなんだか少し怖い…。
とにかく、おじさんについて行く…。
カメラにあまり映り込んでほしくないので、少し距離をとっていたわたし。
でも、ここで「ひとりぽっち」は、なんだかイヤだ…。
だから、多少おじさんが映り込むことも「良し」とすることにした。
でも、今振り返って、文章を書きながら思う。
お寺のことよりも、こんなにおじさんのことを書くことになるなら、
「おじさんの画を追えばよかった…」
と言っても、あとの祭り。… まぁ、これも「良し」としよう。
ちょっと手の行き届いていない感じ?がまた山奥の古刹の雰囲気をより一層惹きたてる。
ここは、天台宗の開祖である最澄の直弟子の円仁が開山した「声明」の修練道場。
「声明」?
声明とは仏教歌謡のことで、経文に音曲をつけて歌詠するもの。
読経に比べ、音楽的色彩が多く、後の邦楽(今様、浄瑠璃、民謡など)に大きな影響を与えたと言われている。
来迎院の拝観受付では「仏教音楽」と書かれたCDも販売をしている。
ふーん。ヨガの音楽みたいな感じかな?
CDは購入しなかったが、気になったので、帰ってから調べてみた。
特に、ここ大原の声明は魚山流と呼ばれ、のちの天台声明の主流となったらしい。
わたしは、まったく密教の知識はないが、
テレビの時代劇で、お坊さんが護摩焚きしているときの音に似ているように思う…。
なんだか妖怪でも出てきそうな雰囲気の音楽で、現在のわたしにはまだ馴染まない。
本堂には、薬師、釈迦、阿弥陀の三尊が安置されているが、
乾燥しきった色の剥げ方がひたすら修練を重ねる道場と古刹の雰囲気を醸し出している。
お堂のなかもまた、ひんやりとしている。
この冬の雪景色も相まって、かなり物悲しい気分になってしまったわたし。
きづけば、相棒のおじさんの姿はもういない。
この日は、完全に三千院の菩薩さまとわらべ地蔵に心を奪われてしまった。
しばらく座って、仏さまの表情をじっと見ていたはずなのに、
今となっては、あまり三尊さまのことを憶えていない…。
関西の寺巡りをしていると、「中々来れないから…」「ここぞとばかりに…」
とにかく数多くの寺院を訪れる。
そのため、自分のなかに強烈なインパクトを残さない限り、
どんどん新しい記憶に掻き消されてしまう実情…。
なぜ、言い訳してるんだろう。?
まぁ、今回もそんな感じです…。
きっとまた来たるべき時に訪れるはずなので、その時の感情をまた楽しもうと思います。
buddhism1209