浄土宗の総本山として名高い「知恩院」。
浄土宗といえば、「南無阿弥陀仏」とただ一心に念仏を唱えることによって、すべての人が救われるという専修念仏の教えを説いています。総本山である知恩院の地位が確立したのは、室町時代後半。現在のような大きな伽藍となったのは、徳川時代になってからと云われています。


秋のライトアップでは、山門、友禅苑、女坂、宝佛殿を拝観可能です。そのほかにも、宝佛殿で、お坊さんのはなしを聴くことができるなど、仏教やお坊さんを身近に感じることができるイベントになっているようです。

さて、まずは山門。驚くことに、知恩院の山門は、回廊に上ることができました。通常は非公開なようですが、特別公開されていたようです。びっくりほど、急な階段にたじろぎながら…上がっていきます。


すると、なんとも美しい景色で、京都市内を一望できます。(すみません…いい写真が撮影できませんでした)また楼上内部には、宝冠釈迦牟尼仏像と脇侍の十六羅漢がまつられています。中が暗いので、きちんと確認できませんでしたが、十六羅漢は石仏でしょうか?また、玉眼がキラッと光るので、なんだか物々しい雰囲気で、かなり怖い感じです。


山門の組み木もよく観察できます。とても荘厳です。


次に向かったのが、友禅苑という庭園。友禅染の祖、宮崎友禅の生誕300年を記念して、改修造園されました。東山の湧き水からなる池と枯山水の庭園は、昭和の名園といわれています。しっかりと色づいたもみじがとても印象的です。



そして、こちらも夜の水面反射。ライトアップの醍醐味は水面反射にあり。


まだまだ色づき始めの知恩院。満開もよいけれど、この移りゆく色のコントラストも風情があって、とても美しいです。



最後に向かうのは、国宝 御影堂のある境内へ。残念ながら、平成30年まで大修理。大きな工事のシートに覆われていました。

いつもここに来ると伽藍の広さに圧倒されますが、夜はまた異なった雰囲気です。


宝佛殿では、お坊さまが法話をされていました。法話を聴くことによって、生きることによろこびを感じ、また頑張ろう!という前向きな気持ちになれたり、こころがやさしくなり、感謝の気持ちが芽生えたりすることがあります。

わたしたちの身近に仏教があること。きっと明治以前はそうだったのでしょう。
今ここで本来の仏教の姿が、脈々とわたしたちに根づき始めているのは嬉しいものです。

知恩院のライトアップは、12月4日(日)までです。紅葉のピークは、11月下旬といったとこころでしょうか?ぜひ、友禅苑の美しいもみじとお坊さんの法話をお愉しみください。

【知恩院 秋のライトアップ 2016】
□拝観日時 11月3日(祝)〜12月4日(日)
□拝観時間 17:30~21:30(21:00 受付終了)
□拝観料金 大人 800円/小人 400円(小・中学生)
□アクセス 地下鉄東西線「東山」駅下車徒歩8分


長崎のお祭りで、特に有名な「長崎くんち」。国の無形文化財にも指定されているこの祭礼が、毎年多くの人たちが集まります。その開催地が、この「諏訪神社」です。元々諏訪神社の祭礼として行われる「長崎くんち」。龍踊りと呼ばれる大きな獅子の舞や、長崎ならではの、中国や南蛮、オランダなどの独特な異国の風合いの催しは、いつか観てみたいものです。


路面電車を降りて、交差点にさしかかると、大きな階段が見えます。この丘の上が、まさに諏訪神社。あまりにも長く、急な階段に思わず足がすくみます。


登れども、登れども、なかなか進まない、諏訪神社の階段…。確実に次の日は、筋肉痛です。諏訪神社の創建には、諸説あるらしいのですが、創建は1555年といわれています。戦国時代には、キリスト 教徒の支配地となり、建物などが破壊されてしまったようです。日本でのキリスト教は迫害や弾圧のイメージがありますが、まさか、キリスト教徒が神社などを破壊していたとは、少し意外な事実でした。


とても立派な七五三縄。1641年に幕府の援助によって、再建されました。中国やオランダなど、貿易の要であった長崎は、幕府との関係が深いようです。


やっと、本殿に到着…。とりあえず、水分補給が必要。登った頃には、疲れきってしまったわたし。お詣りをして、少し休んで…。諏訪神社に訪問してから、半年以上経って、このブログを書いていますが、驚くほど写真がない…。しかも、神社のパンフレットには、「境内に珍しい狛犬がたくさんあります」とさまざまな狛犬を紹介しているのに、肝心の写真がない、というより散策していない。いやー、もったいないことをしました。おみくじだけひいたのは憶えています。


坂の街「長崎」。高台が多く、港町らしい景色が一望できる絶景ポイントが多数あります。坂や階段を上ることに必死すぎて、登りきったときには、疲れ果てて、色々と観ることが面倒くさくなってしまいがちです。非常にもったいないことをしたので、次回はきちんと狛犬を確かめに行ってみたいと思います。

仏像好きなら、一度は訪れてみたい「岡寺」
日本最大、最古の塑像でつくられた「如意輪観音さま」がご本尊として祀られています。


奈良時代の末に細作されたといわれている、巨大な如意輪観音像は、日本三大仏にもあげられており、高さは4.85メートルに及びます。

ちなみに、日本三大仏はすべて奈良なんです。

・東大寺 毘盧遮那仏(銅像 約15メートル) (奈良市)
・長谷寺 十一面観世音菩薩像(木像 約    (桜井市)
・岡寺  如意輪観音菩薩像(塑像 約4.85メートル)

寺伝によると、弘法大師が日本・中国・インドの土を以て造られ、それまで本尊とされていた金銅の如意輪観音菩薩像が胎内に治められていると云われています。

出典:http://www.kokufuku.org/archives/03/36/

通常、如意輪観音像は六臂(6本の手)で片膝を立てた思惟スタイルの像が多いのですが、岡寺の本尊さまは二臂で、右手は施無畏、左手は与願印を結び、結跏趺坐スタイルで安置されています。


今回は、年始早々の参拝ということで、お正月のお飾りで、着飾られた山門や境内。駅からも距離があり、山の中腹であるにもかかわらず、多くの参拝客がいらっしゃいました。

それもそのはず…
ここで、初めて知ったことが、岡寺は「日本最初のやくよけ霊場」との文字が…。



663年、草壁皇子がお住まいになっていた岡の宮を仏教道場に改め、義淵僧正に下賜されたことが岡寺のはじまりです。この義淵僧正は、東大寺の基を開いた良弁や行基など、奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として、知られています。

当時、この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいて、その悪龍を法力によって、池に封じ込めたこのが義淵僧正と云われています。岡寺の正式名称「龍蓋寺」もその伝説から名付けられています。今もその龍を封じ込めた池は、本堂前に残っています。



「災いを取り除く」という伝説がいつしか信仰に発展し、鎌倉時代の観音信仰に厄除け信仰が加わったことから、「日本最初のやくよけ霊場」と呼ばれるようになりました。

しかし、ネットで調べてみると、日本最古のやくよけ霊場といえば、圧倒的に「松尾寺」がヒットします。どちらが正しいというわけではありませんが、西国三十三カ所の第七番札所としても指定されていることもあり、岡寺は今でも観音信仰の印象が深いようです。また、松尾寺は「女寺」、岡寺は「男寺」と区別されることもあるようです。

さて、実はこの年から「後厄」とされていた私。
このタイミングに「日本最古の厄除け霊場」に足を運んだことは、仏さまからのお導きであろう…と「厄除け供養」をして頂くことにしました。




お申込書を提出し、しばらくすると、本堂へご案内がありました。
規模の小さな本堂ではありますが、ご本尊の如意輪観音菩薩さまの大きさに圧倒されます。土で造られた、白い素朴な塑像。ふっくらとした体格が、寛容かつ貫禄のあるどっしりとしした観音像です。唇に残る紅色が美しく、でも、なぜか男っぽい印象を受けたのが特徴的でした。



和尚さまに、般若心経と妙法蓮華経を読経して頂きました。厄除け供養は、お布施の値段によって、供養の仕方が変わります。一番高額な納付であれば、お札は1年間本堂に安置され、毎日供養されます。わたしは、1週間の供養をして頂きました。

1週間、本堂で読経と共に供養されたお札が家に届きます。また玄関などに貼るお札も同封されており、お札のお祀りの仕方も丁寧に書かれていました。1年間、同居の友人たちのお祓いも込めて、いい1年のスタートが切れたような気がします。



1年後には、お祓いの御礼詣りに、また来年岡寺を訪れたいと思います。
自転車で、飛鳥の諸寺をめぐりながらの岡寺参拝。PCやスマホなどから離れ、自然や清々しい空気を肌で感じながら、ゆっくりと「生きる」ことを感じる時間。こんな時間がもてることに幸せを感じ、また「ほんとうのしあわせ」って、こういう地球と繋がることだなと改めて思いました。


【日本最初のやくよけ霊場 岡寺】
□ 拝観時間    8:00~17:00 *12月〜2月 8:00~16:30 
□ 拝観料金 400円 
□アクセス  近鉄 橿原神宮前駅東口より奈良交通バス「岡寺前」下車、徒歩5〜10分。




「そうだ!京都に行こう」と年始に深夜バスに乗り込んだものの、なぜか奈良へ向かい、京都から新幹線に乗って、東京へ戻る計画が、なぜか大阪に足が向き、ここにいます。

聖徳太子が建立したといわれる「四天王寺」
蘇我馬子が建立した飛鳥寺と並び、日本最古の本格的な仏教寺院として知られています。前日に飛鳥めぐりをしていた影響で、私の足がここへ向くことになったのでしょう。


聖徳太子からはじまった2016 年の年始。すこし四天王寺の説明をしたいところですが…、わたしのカメラに突如現れたおじさん。一見すると普通のおじさんですが、明らかに周囲の人と放つオーラが違う。とても気になる、ちいさなおじさん。すこし足早におじさんを追い越し、クルッと振り返ってみると、、そうでしたか…。大阪で、特に有名な吉本の芸人さんでした。なんだか、ご利益がありそうです。




日本の仏教の伝来といえば、蘇我馬子と聖徳太子の存在はかかせません。崇仏派の蘇我氏、一方の拝仏派の物部氏。両者に勝敗をくだしたのが、あの大化の改新です。聖徳太子は、大化の改新以前に、四天王を彫り、戦いに勝利したら、その四天王を安置のうえ、寺院を建立し、この世の人々を救済すると誓いをたて、四天王寺が建立されました。


ちょうど、このときは五重塔をはじめとした、中心伽藍の大改修で、工事のための大きな幕が所々に張られていました。うーーーん、残念。そして、雨が降りそうな厚い雨雲。荷物の重さも相まって、足早の参拝となりました。




創建当初は、すぐ目の前まで海であったという四天王寺。四天王寺の伽藍配置は、南から北まで一直線に、中門、五重塔、講堂、金堂が並びます。当時、西側は海であったため、中国や朝鮮などの諸外国に対して、権威をみせつけるために、このように直線的で大きな伽藍を建立したと言われています。

敷地面積は33000坪。甲子園球場の約3倍と言われるほどの広さ。一般の人々は、竪穴式住居で暮らしていた時代。そんななか、こんなに大きな建築ができたわけなので、さぞ驚いたことでしょう。


ここに来て、驚いたことは、 信仰の厚さ。明らかに観光ではなく、初詣に訪れただけでない様子の方々がとても多いのが印象的です。じっくりお祈りをされているお姿にしばし感動しました。


そのなかでも、わたしが気に入ったのが、ここの聖霊院。別名を「太子殿」といい、聖徳太子を祀っています。中心が乱が鉄筋コンクリート造りなのに大使、ここは木造建築なのです。


こちらのご本尊である聖徳太子像は秘仏となっていて、一年に一度、1月22日のみに公開されるようです。また、月命日である22日には縁日も開催されて、露店などが多数出て、にぎやかになるそうです。





ネコ?トラ?少し恐い表情の欄間。日光東照宮の招き猫を思わせるようで、近づいてみると少し恐ろしい形相で守っていらっしゃいました。ネコ好きなので、ネコのモチーフはついつい気になってしまいます。


連日の寺院めぐりで、若干疲れもあり、天気も悪くなってきたので、関西滞在期間を削減…。怒濤の年末年始からの深夜バスが身体にこたえたようです。仕事に影響を及ぼさぬよう、551HORAIの肉まんを買って、ぼちぼち帰宅します。




関西に「初詣」に行きたい…
そんな想いから、実家での三が日を終え、夜行バスに乗り込むわたし。
だいぶ、関西圏にも慣れて来たので、その日の気分とインスピレーションで、行き先を決めようかと思います。

早朝6時に京都駅八条口に到着し、すぐにピンと来たのが、奈良。
奈良の神社…そうだ!橿原神宮に行こう!ということで、早朝の近鉄奈良線へ。1時間ほど、電車に揺られて、終点の橿原神宮前駅に着きました。



空気が澄んで、凛とした、朝7時の「橿原神宮前駅」。
こんなに清々しい早朝の駅は、はじめてかもしれません。朝日が昇って、間もなくの時間。新年間もなくの神宮駅とは思えない、静けさ。ここに導かれ、この時が、この場所が、わたしのために用意されている。ほんとうにそう思う瞬間でした。

年明け早々、高鳴る胸の鼓動と共に、橿原神宮へと向かいます。
通りを1本まっすぐ歩いていくと鳥居に到着します。到着と共に、朝日が差し込み、幻想的な光景が目の前に広がります。あまりにも出来すぎたシナリオに、鳥肌が立つほどです。


この神聖な光は、どこからやって来たのか?
光の源に目を向けてみると…


まさに、日の出すぐ。太平洋側の海沿いで育ったわたしにとって、山からの日の出を観たのは、はじめてです。奇しくも、この年の初日の出を観に行ったにもかかわらず、鑑賞場所を見誤って、観ることができなかったので、まさかここで、こんなに美しい光景に出逢えるとは、もう感激の連続です。






表参道を進むと現れる大きな門は、南神門。とても雄大な門をくぐると、あまりにも広大な境内に、これまた驚きを隠せません…。



このように一面拓かれた敷地をもつのは、今まで訪れた神社のなかで、ダントツで「NO.1」です。平城京跡をはじめて観たときにも、息をのみましたが、また奈良に広さで圧倒されました。本殿の背後には、大和三山の畝傍山。


だんだん明るくなって、雲のすきまから光が差し込んでいます。
さて、この橿原神宮ですが、日本最古の歴史書「日本書紀」によると、天照大神の血を受け継ぐ、神倭伊波禮毘古命(むやまといわれびのみこと)が、豊かな国づくりをめざして、畝傍山の麓に橿原宮を創建したことがはじまりです。この神様とは、後に、日本の初代天皇となる神武天皇です。また、この橿原は、「日本建国の地」と記されており、日本の原点とも言えるのが、この橿原神宮なのです。



崎県の高千穂から、東へとさまざまな苦難を乗り越えて、この橿原へ辿り着いたと言われています。熊野村から橿原まで道案内をしたのが、日本代表のエンブレムで御馴染みの三本足の八咫烏(やたがらす)との逸話があります。


2016年は、神武天皇が崩御されてから、2600年にあたる式年。4月には、100年に一度の大祭が行われるということもあって、大鳥居の洗浄・修復から、本殿の檜皮屋根の葺き替えに至るまで、大掛かりな改修が数年かけて行われていたようです。



たしかに、美しいわけです。
伊勢神宮、出雲大社、春日大社…。式年が続く、日本の神社。みるみる美しさを取り戻す、全国の神社。各地の参詣者も増えることでしょう。

この橿原神宮ですが、神宮として創建されたのは、明治23年。明治に入り、天皇の御聖徳を永遠に尊び敬いたいという民間有志の請願から、明治天皇が元京都御所の賢所と神嘉殿を払い下げられ、官弊大社(日本で最も格式の高い神社)として御鎮座されました。




実際に、この地へ足を踏み入れ、光を浴び、風を感じ、景色を眺め、地をしっかり踏みしめてみると、「大和こそが、日本建国の地である」と実感が湧いてくるほど、なにか熱くほとばしるものを感じます。早朝だったこともあり、参詣者が少ないので、空気が澄み切っているということもあるかもしれませんが、別格になにかが違うのです。すごく大きくて、太くて、ずっしりしているのだけど、まったく重くない。ものすごく爽やかで、清いところです。
 

先人達が築き、守り引き継いできた、日本の歴史と文化。日本人としての誇りをもち、豊かな心で、向き合い、寄り添い、後世に繋げていく意識で、日々を生きていきたいと深く感じ入った初詣でした。