九州の中でもっとも磨崖仏が多いと言われている、国東半島。平安時代の仏教文化が色濃く残る、個性的な石仏の宝庫です。
市街地から離れた緑豊かな県道?国道?沿いにひっそり佇む、富貴寺。
四季折々の美しい情景が魅力の富貴寺は、718年に仁聞菩薩によって開基されたと言われています。
昔ながらの木造の門は、こじんまりとしていて柔らかな印象。両脇には、石で造られた仁王像がいらっしゃいました。サイズもヒトと同じくらいのミニサイズ。
阿形と吽形。どちらも随分優しい感じです。仁王像と言えば、奈良の東大寺の金剛力士像がやはり一番印象的です。あの筋肉隆々でとっても大きな像が、わたしの中の「仁王」像だったので、まったく異なる印象です。やはり九州らしいというか、素朴なところがとっても親しみやすい仁王像。外気にさらされた摩耗具合がより柔和な印象を与えるのかもしれません。
手入れされ過ぎず、自然と共存しながら、今日まで歩んでこられたことがよく分かります。山と境内が一体…。
段を上がっていくと現れるのが、阿弥陀堂。宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂に並ぶ日本三大阿弥陀堂のひとつに数えられ、九州最古の木造建築物として、国宝に指定されています。
ここの本尊である阿弥陀如来は、高さ約84cmの寄木造りの坐像です。お顔もまんまるで、素木のままなので、こちらもやさしい印象です。螺髪にかすかに残る漆泊。もとは金ピカだったのでしょうか?漆黒だったのでしょうか?見事に剥がれ落ち、まるで年老いて、昔の鋭さを失い、まるくなる親のような、そんな雰囲気を感じます。
ここには藤原時代に描かれたという壁画も現存しており、今は素木にうっすら彩色が残っています。1000年以上前のヒトが描いた作品が、現在に伝わっていることを改めて考えてみると、なんだか言葉を失ってしまいます。
お堂の周りには、やはり国東半島。石仏群がありました。ここには十大弟子の皆さん。やはり屋外なので、摩耗と苔生しており、もはや表情が消えかかっていますが、なんとなく雰囲気は伝わってきて、やさしいおじいちゃんが微笑んでくれているようです。
ちょっと険しい顔をしているのが、奪衣婆。三途の川で、着ているものを剥がし奪うという鬼です。地獄極楽にもいましたね。九州になぜか多い奪衣婆。
真面目そうで、口数の少なさそうな羅漢像。きっとこの方、色白です。笑
肩にかけているこの棒は一体なんでしょうか?立ち並ぶ石仏群のなかでも、特に摩耗が少ないお坊さん。
豊かな自然に囲まれ、適度にヒトが集まり、自分のペースで今日まで歩んで来たのだろうと感じる、この富貴寺。これこそ、日本独自の土着信仰とともに共存をしてきた仏教文化。とってもほっこりします。