鞍馬寺。

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京都の夏の風物詩と言えば、川床。
川床と言えば、貴船・鴨川・高雄。

貴船神社と繋がるハイキングコース?参道?が、夏の暑さを和らげる鞍馬寺。
あの牛若丸(源義経)が幼年期に過ごしたところ、鞍馬天狗などで、有名なあのお寺です。


真夏の早朝、叡電に乗って、ぐんぐん京都の山奥へとのぼっていきます。
一年でもっとも人が集まる夏の貴船エリア。
午後になると、気温も上昇するので、早めに訪れるのが吉。


鞍馬に到着すると、さっそく天狗のお出迎え。
さて、鞍馬寺の仁王門をくぐり、俗界から浄域へ入ります。
ここでは、心を落ち着かせ、静けさを大切に、感謝と祈りの心をもちます。

まずは、くらま山に入山します。
ここは、御堂や仏像ではなく、山自体が信仰の対象。
毎日を明るく正しく元気よく積極的に生きぬくための活力を、本尊である尊天からいただくための道場です。

他のお寺にはない、まったく別の信仰…。
後々、五感で感じることとなる、聖域としてのくらま山。


入山すると、由岐神社を周るハイキングコースと多宝塔を通るケーブルカーのコースに分かれます。
つい1ヶ月前、ケーブルカーに乗らない高尾山コースで、肺が死にかけた“わたし”。
登山への恐怖をまだ手放せず、ケーブルカーを選びました。


約2分間の楽チンなケーブルカーを降りて、
ここから高尾山のハイキングを思い出す参道を、てくてく歩きます。


しばらく歩くと、本殿金堂に。


登山を伴うお寺は、この本殿についた瞬間、拓けた境内に到着した瞬間、
おもわず、ホッと溜め息とともに、「着いたー!!!」と声をあげてしまいます。

この鞍馬寺。
本尊さまは、尊天(そんてん)。
尊天とは、「宇宙の大礼であり大光明、大活動体」であり、わたしたち人間をはじめ万物を生かし、存在させてくださる宇宙生命・宇宙エネルギーのことです。

なんだか、宗教なのか、科学なのか、天文なのか...。
今までの寺社の信仰とはまったく異なるので、すこし戸惑いますが、
心身をゆっくり整えて、深呼吸をして、天と大地と空気に身を任せると、感じるのです。


わたしたちは、宇宙に生かされていて、わたしたちが、宇宙の一部であること。
宇宙のエネルギーは、愛となり、光となり、力となって現れる。
例えば、この小さな女の子。この子は、手前で見守るお父さんの愛そのものです。

そして、ここでは、
愛を月霊の精霊「千手観音菩薩」、光を太陽の精霊「毘沙門天王」、力を大地の霊王「護王魔王尊」のお姿で現し、三身一体で「尊天」と称しています。

鞍馬山の信仰は、尊天を信じ、ひとりひとりが尊天の世界に近づき、尊天と合一すること。それは、自分の霊性にめざめ自分の与えられた生命を輝かせながら、明るく正しく力強く生きてゆくことにあります。

宗派、人種、国境にこだわることなく、ひとりひとりの真のめざめと、共に生きてゆく万物の調和を祈ることです。

宗教という限られた信仰ではなく、対象は、現在ここにある宇宙のエネルギー。
なぜ、自分がここにいて、生きているのか、そして定められた使命とは?
その答えこそが、この鞍馬山の信仰なのではないでしょうか?


日本が古来から受け継ぐ「森羅万象」の信仰。
宗教は、真にめざめるための手段ということ。
この世の答えが、ここにはある。

それぞれの信ずる方法で自由に、尊天の霊気を受け、ひとりでも多くの人が真実にめざめ、力強く生きてくださればそれでよい。

こんなことを言ってくださるところが、他にあるのだろうか?





とにかく、すごくエネルギーを感じる山。
登山の足取りが驚くほど軽く、どんどん前に進みたくなる。
気温もちょうどよく、大地は軽く、空気がとてもおいしく、ほどよい日差し。

義経が…、鞍馬天狗が...。
そんな小さな話の山ではない、「宇宙」をかんじ、めざめる聖域です。

月のように美しく、太陽のように暖かく、大地のように力強く
尊天よ あふるるみ恵みを恵みを与えたまえ

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