千駄ヶ谷から青山方面へどこかランチはないかなーと思って、とぼとぼ歩いていたら、
突然現れた木々に囲まれた祠(ほこら)。
アスファルトで温まりきった都心に、美しく整備された土壌は涼しささえも感じます。
大きすぎず、かと言って、小さくもない丁度よい広さの境内には、
本殿のみならず、能見堂、稲荷神社、小山!?など、さまざまなスポットがありました。
まずは、本殿。
意外と小さな本殿ですが、昔ながらの木造建築が実に奥ゆかしい。
調べてみると、平成2年の御大典を機に、平成5年、総欅造りの昔の姿に再建されたようです。やはり、元々の日本の風土や気候に合った本来の姿が、いいなーと改めて思いました。社殿の天井には、草花や暮らしの道具をテーマにした天井画が描かれているらしく、いつか拝見してみたいものです。
さて、境内を散策してみましょう。
まずは、ひと際目を引く能楽堂。
国立能楽堂もある千駄ヶ谷ならでは?というかんじで、ここでも様々な祭事が行われるようです。ここの由緒については、情報がないので分からず…。現地でキチンと確認すべきでした。
さて、次は千駄ヶ谷の富士塚。
なぜか、境内に小山??そして、富士塚ってなんだろう?
関東には富士山を信仰する富士浅間(ふじせんげん)信仰という信仰があります。富士信仰では富士山に登山することが最高の修業となるわけなのですが、江戸時代には富士山まで出かけることはなかなかできませんでした。そこで江戸各地に富士山のミニチュアを作って、そこに登ることで富士登山を疑似体験しようとする信仰が誕生したのがはじまりです。文化・文政期の江戸市中には多くの富士塚が造られ、それは明治以降まで続いたと言われています。
そして、甲賀稲荷神社。
甲賀組組屋敷の武士が崇拝していた神社が、明治期にこちらの境内に遷座、合祀されたとのことです。
そして、忘れちゃいけないハトさん。
神社のお名前のとおり、境内には、ハトさんがたくさん。
名付けの理由はこんなことにありました。
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去ったと言われています。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けらたそうです。
こういう、ふらっと寄ったときの出逢いって、とても嬉しいものです。
ここでは、珍しく、IT御守り?が売っています。
このあとに、SEのお友達と会うことになっていたので、その御守りを購入しました。
さて、このあとは、旧国立競技場での最期Jリーグ観戦です。