江戸時代に、四谷の四名所のひとつとして親しまれていた「真成院」。
江戸三十三観音の札所として、潮干十一面観音さまが有名なお寺でもあります。
「潮干観音」??
はじめてお聞きする名前です…。
元々は、信濃の戦国武将・村上義清の守護観音としてつくられた十一面観音さま。
大坂夏の陣の再に、江戸に身を隠したところが、こちらの真成院であったということで、
その後に、返礼として、この観音さまを寄進されたようです。
でも、なぜに潮干なのか…。
当時のこの界隈は、海が近かったようで、観音さまの台石が潮の干満によって、いつも濡れていたことから、このように呼ばれることになったようです。
御府内だけでなく、江戸三十三観音の札所でもある、この「真成院」は、きっとたくさんの人に親しまれているお寺なのでしょう。
こちらは、実はもうひとつ都内ならではの大きな特徴があります。
建物の壁面やノボリにあるように、現在は“四谷霊廟”として、屋内のお墓「納骨壇」を取り入れています。
昭和20年5月、あの東京大空襲によって、ここも大きな被害を受けてしまったと言います。
寺院再建時に、これからの東京の土地事情を鑑み、いち早く室内霊園を建したのが、こちらの「四谷霊廟」です。
東福院さまのご紹介でも、お話をさせて頂きましたが、寺院も、時代の流れに合わせて、檀信徒のライフスタイルに合わせて、変化していく必要があるようです。
また、その地域によっても、どのような寺院が好ましいか?という定義も異なってくるのでしょう。
うん、、東京の寺院をこれだけたくさんまわっていると、やはり「東京らしいな」と思うことが多々あって、とても楽しいし、勉強になります。
こちらのお地蔵さまは、ちょっと新しめの半跏スタイル。
なんだか、お顔もお若い気がしますね。今回は、潮干観音さまをお参りできなかっので、またお邪魔してみたいと思いました。
種はまかれてから、 農夫がながーい時間と苦労をかけて育てた結果、さいごにようやく実を結ぶ。
悟りもそれと同じである。
悟りもそれと同じである。
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