法華寺のすぐ真裏。
...なんだけど、ちょっと奥まっていて、とても静かな「海龍王寺」。

一番最初に佐保・佐紀路に訪れたのは、2013年の夏。
たしか、西の京から「暑い、暑い、」と独り言をこぼしながら平城宮跡方面へ、てくてく歩いてこのあたりを巡ったような気がします。スマホで地図を確認すると、このあたりなのに「まったく入り口が見つからない…」と法華寺周辺をぐるぐる周り、泣く泣く拝観を諦めた記憶があります。

そのとき、はじめて“秘仏”の存在を知りました。
法華寺・海龍王寺の十一面観音立像が、まさに“秘仏”、特別開帳の時にしか公開されないということで、秋にリベンジを誓い、11月のご開帳に合わせて、再訪しました。そのときは、なぜか割とスパッと見つかったこちらのお寺。「あのときは何だったんだろう…」と思っていましたが、10ヶ月経った今、やっと謎が解けました。

「8月12日〜8月18日は、お盆行事のため、拝観は休止。」

山門が閉まっていたのです。.....どおりで、見つからない訳だ。
経験者は語る、、こちらを観光する際は、お盆時期は避けたほうがよいです。



さて、前置きが長くなりましたが、こちらの海龍王寺。
わたしの好きなお寺のなかのベスト3には入る、これはもう素晴らしいお寺です。

まず一番最初に目を惹いたのが、ここ。


小さな山門と朽ちかけた土壁。
この壁のなかから、基礎の格子と藁が出てきて、なんとも風情のある山門。
天井からどこからともなく、生えてきた草の緑が、まさに日本の芸術。
日本の建築文化の象徴とも言える、この自然のアートが、わたしの心をわしづかみ。
まさに、一目惚れです。


土壁の入り口には、秋らしい木でつくられた風鈴。
陽がすこし傾きはじめた午後とこの景色が見事にマッチングして、心が躍ってしまいます。さて、境内い入ってみると…


やっぱり、素敵。
法華寺とはまた違う気品に溢れ、こじんまりとした隠れ家のようなお寺。
本当にゆったりとした、やさしい時間が流れています。
この日は11月の3連休でもあり、葉も色づき始め、お寺巡りに最適な時期です。それでいて、1年のうちでも限られたご開帳期間だったので、さぞ混んでいるだろうと思いきや、人もまばらで、静かだったことも、とても好印象でした。

山門から境内までで、完全に心を奪われてしまったわたしですが、ここのメインイベントは、“秘仏・十一面観音立像”。本堂に入ってみることにします。


ひ…ひゃーーーーー。。。う、う、美しすぎる、、。
90センチほどの小さな仏像に、煌びやかな装飾の数々。
純金の神々しいお肌の色と、緑ベースの衣に施された、精巧な文様。紅く染まった唇と蓮華の蕾。とにかく、繊細でキラキラしているのです。でも、すごく気高い品格があり、ゴージャスな印象ではあるものの、決して派手ではないのです。
細くすらっとした繭とくるっとした短いおひげ。すらっとした腕と長く細い指。
もうすべてが美しすぎて、なんとか目に焼きつけようと、衣の文様をじーーーっくりと見つめたものです。とにかく、美しすぎる、観音さまです。


なかば、放心状態で、本堂をあとにしたわたし...。
後々調べてみると、こちらのお寺は、飛鳥時代に創建をされ、遣唐使の航海の無事を祈願するお寺として建てられたのが始まり。今も旅行・留学祈願のお寺なのだそうです。

またこちらのお寺のご住職が素晴らしい。


「民衆に辻説法した鎌倉時代の僧のように、宗教者としての思いをもっと発信していかなくてはならない。」

海龍王寺のホームページの充実した情報、朝日新聞奈良版の連載、レギュラーラジオ番組、Twitter、Facebookなど、現在の情報ツールを生かしたリアルタイムの発信をされています。

こちらは、朝日新聞奈良版で連載されている記事です。
>>>人生あおによし

寺の跡取りとして期待されて産まれたのが女の子だったパターンのわたし。
この住職とは異なり、反骨精神で家を飛び出してしまいました。今はもう跡取りとして、実家へは戻れない状況ですが、寺で育った娘として、これだけ日本仏教に、日本文化に傾倒している身として、なにか発信していかなくては!と思っていたことと、この住職の思いが何か共鳴したような気がします。

ブログを拝見してみると、どうやら日本橋の奈良まほろば館で講演をされることがあるそうそうなので、是非一度拝聴させて頂きたいと思います。
今思うと、住職のアツい想いに、わたしの気持ちが惹かれて、なんだかわからないけど、すべてがすごくいい。。と思ったのかもしれません。

うん、知れば知るほど、大好きなお寺になりそうです。







佐紀・佐紀路の美仏巡り、次は日本史の教科書でも出てきたはずの「法華寺」。
時は、奈良時代。710年に元明天皇が、奈良へ都を移し、唐の長安をモデルにした平城京がつくられました。この時代に、中央集権の国家体制が確立し、天皇を中心とした政治が行われました。しかし、藤原氏の進出・画策により、天皇家および政界は、動揺の渦に巻き込まれていきます。

そこで、一番悲劇の死を遂げたのが、長屋王。天武天皇の孫で、幼い聖武天皇に変わって、政治を担当していたのですが、光明子の立后問題で自殺に追い込まれてしまいます。(光明皇后は、藤原氏の血をひく皇族以外の出身のはじめての皇后。藤原氏が権力を握るための陰謀。)その後、光明皇后の兄である藤原4兄弟が次々に病気でなくなったり、飢饉や天然痘が流行ったりと、世の中はかなり混乱した状態となりました。これを、長屋王の祟りだと恐れた政界の人々たち。

これを仏教の力で鎮めようとしたのが、聖武天皇です。
そこで741年に出されたのが、国分寺の詔。各国に国分寺・国分尼寺を建立させ、なんとか国家の危機を救おうとしました。その国分寺の代表が、奈良でもっとも有名な東大寺です。そして、国分尼寺(女性のお坊さんのお寺)の代表が、ここ法華寺というわけです。


とても洗練されて、美しい法華寺の境内。
さすが、女性のお寺というだけあって、気品に溢れています。つい先ほど訪れた“不退寺”の風情とはまったく異なった印象です。


さて、こちらの法華寺。日本の歴史を辿るうえでも、重要な役割をもって、建てられた寺院というだけではなく、とても美しい仏像が安置されていることでも有名です。光明皇后をモデルにされたとも言われる、慈悲深い観音さまとは??


「十一面観音菩薩」さま。ふっくらしたお体と繊細な蓮華の光背がとても美しい観音さまです。白檀のやさしい香りがふっと包んでくれそうな、慈悲深いほとけさまです。
すこし肉付きのよいふわっとした長い手、すこし動きがあり、親指がクイッとあがった足は、すぐにでも駆けつけてくださりそうな印象を与えてくれます。

なかでもやはり一番驚いたのが、光背。
蓮華の光背を見るのもはじめてでしたが、その枝の一本一本の精巧さ。この繊細なお姿を見ていると、どうか災害に見舞われませんように…と願うばかりです。

いつもはお厨子の中で眠っておられ、レプリカでしか謁見をすることができませんが、年に数回ご開帳されます。そのなかでも、佐保・佐紀路の美仏のご開帳が重なるのが、春と秋のそれぞれ2週間ほど。せっかく奈良へ訪問するなら、秘仏公開に合わせて、訪問されることをおすすめします。



秋にはこのように、境内の紅葉と共にお寺の風情を感じる楽しみもあります。
どんな風に撮影したら、より雰囲気が出るか?研究をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。


夏は、夏でまた若々しい印象がとても気持ちがよいです。
境内が洗練されているからか、あまり暑さを感じず、涼しい印象があります。


境内の菩提樹は、お釈迦様が木陰で悟りを開いたと言われる木と同種で、臨済宗の開祖、栄西が中国から持ち帰ったと言われているそうです。大きく枝を伸ばし、大きな愛で包み込んでくれているような菩提樹。やはり母性のような大地を感じます。








重要文化財とされている、本堂、南門、鐘楼などの寺院建築もすばらしく、本当にずっと居ても飽きない。むしろずっと居たくなってしまう、やさしい尼寺です。

























奈良の仏像宝庫と言えば、平城宮跡付近の「佐保・佐紀路」エリア。
東寺は、貴族や朝廷の官僚屋敷が立ち並ぶ高級住宅地で、都の北側を通っていた道を指すそうです。さて、このエリア、わたしが奈良の中でも特に好きなエリアのひとつでもあります。住宅地や小さな農道を通って、人影もまばら。ゆったりと奈良を感じながら、お散歩をしていると、こぢんまりとした寺院があり、そこにお邪魔すると、なんとも素朴で、また美しい仏さまに出逢えるのです。


大和西大寺駅から?または奈良駅から?バスに乗り、一条高校前のバスを降りて、いよいよ佐保・佐紀路トリップのスタート。まずは、木々が生い茂る静かな古寺「不退寺」。

平安の六歌仙で有名な在原業平のお寺です。
在原業平と言えば、伊勢物語の主人公と言われています。天皇の孫という非常に高貴な身分ながらも、政権争い?血筋の問題?により、臣籍降下して、在原の氏を名乗るようになりました。伊勢物語では、高貴な身分の女性たちとの禁忌な恋が語られ、「放縦不拘(物事に囚われず奔放である」」と描写されています。当時は容姿端麗と有名で、多くの女性と浮名を流していたことが、多くの和歌にも残されています。

“思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 逢うにしかへば さもあらばあれ”
(キミを想う気持ちには、人目を忍ぼうという自制心が負けてしまった。キミと逢うことと引き換えにするのなら、どうなろうと構わない。)


す、、すごいな…。
なんだか束縛心を感じてしまいますが、「こんなに想われているー」と思うと、当時の女性たちも胸が高ぶったものでしょう。ましてや、容姿端麗のイケメン。昔からイケメンはナルシスト傾向が強いのでしょうか…笑。多くの女性との浮名…ですから、みんなに同じようなこと言ってたのね。とちょっと思ってしまうわたしです。イケメンだからってーー。


さて、そんな在原業平公の残した仏像は、果たしてどんなお姿なのか…気になります。
拝観料を払うと、こちらの従業員!?のおじさんが、丁寧に本堂へご案内をしてくれました。
こちらの本堂、中の柱などに色彩が残っており、朱の鮮やかさと共に、さまざまな文様。
今となっては、風情溢れる静かな古寺ですが、当時はとても豪華であったことが想像出来ます。

さて、いよいよ、リボン観音とも言われる「聖観音」さまとのご対面です。

在原業平作のリボンをつけた観音さま@不退寺

なんと、豊満でとてもセクシーな聖観音さま。
それでいて、耳の横の左右のリボンがとても可愛らしい…。
さすが、多くの女性との恋をご経験されてきた業平さま。なんとも素晴らしい美仏です。

でも、一番に驚いたのは、この彩色。
平安初期に作られたにも関わらず、退色せずに残っていることがすごい。実はこの仏さま、永い間御厨子のなかで、保管されていたそうで、戦後にご開帳されるようになったとか!?(ちょっと記憶が定かではないので、次回にまたキチンと聞いてまいります。)
そして、この美しい白の着色は、貝の粉を利用しており、ところどころに残る極彩色は顔料が使用されているとのことです。顔料は粒子が大きいので、不溶の性質を持っているので、なかなか溶けにくいのですが、それにしても、よく残っています。
自然の生み出す色のバリエーションと、このしっかりした着色に驚きました。

そして聖観音さまを囲む五大明王さまも、実に素晴らしいです。
魚眼が美しく、また足もとに残る極彩色。小さくこじんまりとした古寺ながらも、仏像のクオリティーは圧巻です。



そして、この不退寺のもうひとつの大きな特徴が境内の花々。
「南都花の古寺」とも言われており、四季折々の花々が楽しめることでも有名です。
椿、レンギョウ、カキツバタ、睡蓮、さざんか...。



ちょうど夏には小さな石壷!?のなかに、紫の睡蓮が花を咲かせていました。
とても麗しくて、心が浄められるようです。


こちらは、夏の多宝塔。
青々とした木々と蝉の声が、夏の力強さを感じます。


そして、初秋の多宝塔。
11月初旬、紅葉にはすこし時期が早かったようですが、やはり夏とは異なる表情。
木々の色が、緑から黄色に変わり始め、夏に比べると随分優しい印象になりました。

四季によって、まったく異なる表情で迎えてくれる不退寺。
何度来ても楽しめるところは、とても大きな魅力です。


あら、可愛い。
ちょっと無愛想ではありますが、なんとも憎めない、このかんじ。
かっこつけてるけど、「しっぽ、足に巻き付けちゃって!笑」

業平公のおはなし、仏像、境内、ねこちゃん。
本当に小さなお寺ですが、すべてが充実して、ずっと居ても飽きない素敵なお寺です。

ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは @在原業平

神々が住み、不思議なことが当たり前のように起こっていた、いにしえの神代でさえも、こんな不思議で美しいことは起きなかったに違いない。奈良の竜田川の流れが、舞い落ちた紅葉を乗せて、鮮やかな唐紅の絞り染めになっているなんて。@小倉百人一首

京都で、人気な観光名所としても名高い三十三間堂。
本日調べたトリップアドバイザーの中でも堂々の6位。

ご存知のとおり、あの千体観音堂の仏像の壮大なスケールは、いつも圧巻です。
さて、この三十三間堂ですが、中央の「十一面千手千眼観音」さまを中心に、左右に500体ずつ、合計1001体の仏さまが並んでおり、そのすべてがご本尊さまです。

三十三間堂の一番の楽しみは、やはり仏像鑑賞。

150センチほどの、小柄な女性ほどの大きさの観音さま。その観音さまのお一人、お一人の表情や衣のシワの寄り方がまったく違うのです。パッと見は「みんな一緒じゃん。」と思うほどの巧妙な仏師の技術なのですが、よーーく見ると全然違う。
丸顔、面長、アジア系、切れ長系…ここに来ると、「必ず一体は自分に似ている仏像がいる」と言われるほど、さまざまな表情の仏さまがいらっしゃいます。

最前〜三列目くらいまでは、きちんとお顔を確認できるものの、中々後列までは難しい。
しかし、修復や保管の関係で、適宜並び替えて、安置されるそうです。何度か訪問して拝み続けることで、いつかご褒美として、自分に似た仏像さまに会えるのかもしれません。


そして、実は、わたしの好きな仏像は、この観音さまを御守りする二十八部衆。
千体観音さまの前に並ぶ、バリエーションに富んだ28体の仏像。
仏像と言えば、、、で、御馴染みの興福寺の阿修羅像。あちらは八部衆ではありますが、こちらの仏さまと同様に観音さまも御守りするお役目です。

さて、この二十八部衆。
カラスのお顔をした迦楼羅王(かるらおう)や琵琶を演奏する大蛇をまとった摩睺羅伽王(まごらかおう)など、まったく異なるお顔と衣装を身にまとっているで、きっと子供も楽しいはず。そのなかでもわたしの一押しは、婆藪仙人(ばすせんにん)。

やせ細った身体のおばあさんのような、おじいさんのような…。
きっと夜に出てきたら、最も怖いであろう、老婆のような出で立ちです。
あまりにも、人間っぽいからか、なぜかこのような骨が浮き出そうな細さの仏像に惹かれる傾向があります。筋だったり、骨の精巧な造形美を感じられるからでしょうか?


三十三間堂は、仏像だけでなく、日本史好きとしても、外せないスポットのひとつ。
創建は、わたしの大好きな平安時代(1164年)に、平清盛が後白河上皇の院政庁である「法住寺殿」の一画に増進したと言われています。

武家が台頭するきっかけともなった、平氏の隆盛。
そこに欠かせないのが、上皇と平氏との関係性。この時代、政(まつりごと)の軸ともなっていたこの時代の仏教。仏に祈り、国を統治していたとも言えます。仏像、御堂の寄進が、国づくり、御上(おかみ)に大きな影響を及ぼし、国を変えるちからや、権力の象徴となりました。

平氏が財を投じて行った、この蓮華王院の寄進、高野山の根本大塔の再建、厳島神社の創建など、神仏を信じるちからの強さを感じます。またそのような時代を経て、現在の日本があること、そして、そこから大きな学びを得ることができる喜びが、ひしひしと胸に刻まれます。


なにより、一番素敵に感じることは、歴史を辿る観光スポットとしてだけではなく、
今もお寺としての役割を保ち続けていること。

お坊さものお姿を見つけて、「お経」の祈りとともに、何十年、何百年、何千年...と後世に、仏道のお導きが「ヒトを成長させる」糧となってほしいものだと感じました。

日本の寺社仏閣は、一種の政(まつりごと)のために創建されたところも数多くありますが、仏さまに真摯に向き合い、祈りを捧げるヒトたちによって、どんどん浄められて、ヒトの心に光を与える場所になっていくのではないでしょうか?


たくさんのことを感じられるからこそ、そして感じきれないからこそ、何度も訪れたくなるのがこの三十三間堂。なんだか、そんなところです。