「そんなに急いで 紅葉の秋に来られちゃ、ツマンナイ」
2006 年の詩仙堂のキャッチコピーです。いつもハッとさせられる、JR東海「そうだ 京都行こう」の広告。なかなか、広告のような写真を撮影するのが難しいのですが、真似をしてみました。そして、キャッチコピーのとおり、少し時期が早かった…。
この時期の京都は1年のうちで、最も混雑する時期ではあるので、早めの計画が必要になりますが、肌寒さと秋を薫りを感じて、京都に来た…みたいな風情のある行動をしてみたいものです。
なぜこんなにも京都の紅葉が人々に愛されるのか?それは、やはり寺社仏閣に代表される、日本の伝統建築とのコラボレーションでしょう。
長い年月をかけ、受け継がれて来た伝統の京都だからこそ、映える風情。1年で一番観光客が増えるこの時期…。極力、人混みを避けて行動するわたしでさえも、足が赴いてしまいます。
さて、そんな京都の紅葉で代表される寺社仏閣のひとつに「詩仙堂 丈山寺」があります。
江戸時代初期に徳川家の家臣であった石川丈山が造営した隠居のための山荘です。現在は、曹洞宗大本山永平寺の末寺とされているため、丈山寺と名付けられています。
詩仙堂は、一条寺駅を降りて、のどかな駅前通りを歩き、住宅がポツポツと並ぶ坂をあがっていくと、ポツリと静かな入り口が佇んでいます。
道の途中には、江戸初期に宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したという伝説が残る、一乗寺下り松の決闘之地の石碑が建っており、またその隣には、足利尊氏と闘った楠木正成の陣所跡の碑があります。まさにこの場所が、歴史の表舞台として、さまざまなことを経験した土地であることを感じることができます。
「小有洞の門」と呼ばれる参道を抜け、老梅関の門から建物内に入ると、さまざまな詩人の肖像と詩が頭上に四方の頭上に掲げられています。この建物を造営した、石川丈山が選定した三十六詩人。朱子学の祖とも言われる藤原惺窩に学んだ丈山は、同じ門下で、徳川家の侍講とした林羅山の意見を求め、詩人と詩の選定に意味合いを持たせたと言われています。また、詩人の坐像については、狩野探幽が筆をとり、詩は丈山得意の隷書体で書かれています。ここだけでも丈山の詩仙堂に対する想いの深さを感じます。
さて、紅葉の話から一転、随分前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ詩仙堂の紅葉です。詩仙堂から見える紅葉の景色は、建物が見事な額縁となり、また逆にお庭の景色が背景になったりと、まるで一枚の絵画のなかにいるかのようです。計算され尽くして、整ったこの空間と「今」でしか味わえない季節の彩り。ちょうど、緑から朱に変わるもみじと自分の現在の状況が重なったり、やはり導かれ時期なのか?としみじみ思うことがありました。
ふと、なにも考えずに、ただただ眼前に広がる風景に、匂いに、音に五感を傾けること。
それこそが、わたしたちの基本であるはずなのに、意識しなければ、そこに気づくことができなくなっている感覚の鈍化。でも、自ら時間を創りだし、赴き、その感覚をまた研ぎにいく…その感覚を取り戻し、思い出していく感覚は、本当に心地よいものです。
しばらく、建物内から秋景を楽しみ、次はお庭へ。
陽の当たり方で、こんなにも紅葉の進度が変わるものかと…頭上にキラキラと輝くもみじも眺めながら、自然の理を知りました。もみじの間から降り注ぐ太陽のひかり。そして、写真を撮ったり、散歩したり、お話をしたりと思い思いの時間を過ごす人々。
たくさんの人と自然の景色。
あまりにも美しい光景のなかで、ここに来ている人たちとこの時間という人生の重なりがあることに、神秘的なものを感じたりと、さまざまな感覚が自分自身のなかから湧いてきます。
そして、感覚を味わうごとに湧き出る感謝の気持ち。
急がず、焦らず、感覚を研ぎすませる。自分が生かされて、今生きていることを改めて噛みしめた、詩仙堂の秋でした。
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