四谷巡礼も中盤にさしかかりました。
古すぎず、新しすぎず、門柱の石と門の光度合が、なんだか石材屋さんかのように美しい「東福院」。

こちらは、時代に合わせた都心型納骨堂が、日テレ「情報ライブ ミヤネ屋」で紹介されたという、現代型の寺院経営が特徴のお寺です。 
昨今では、核家族、少子化や単身者の増加により、先祖代々のお墓を守り続けることが難しくなっています。
お盆・お彼岸・年末年始の年4回は、ご先祖さまのご供養をするのが通例ではありますが、なかなかお寺とは縁遠くなってしまい、お墓の管理が出来なくなってなってきています。

しかし、このような室内の納骨堂であれば、お墓の清掃や維持などを気にすることもなく、お寺で責任をもって管理をして頂けるということなので、とても便利でありがたいシステムになっています。

最近、通勤のときの電車広告でも、永大供養や納骨堂についての広告をよく見かけます。

また、こちらでは、御位牌・ご本尊・お骨が「三位一体」で安置されているため、納骨堂であっても、直接ご先祖さまへのお参りができるのが、特徴のようです。
たしかに、一般的には、御位牌は位牌堂、お骨はお墓なので、ご年配の方は、両方お参りをされています。一度にお参りができるというのは、ご家族にとっても嬉しいです。


なんだか、巡礼の話とは全くずれてしまいましたが、
御府内八十八カ所めぐりの寺院は、今も檀信徒に支えられて、成り立つ一般的なお寺が中心。
奈良や京都・鎌倉のような、大本山でも歴史上政治的要素が強かった寺院とは異なります。

そのため、現代の先祖供養や寺院経営という点で、各々さまざまな取り組みをされています。
取材目的で訪問しているわけではないので、そういったことをお聞きすることはありませんし、私も事前に情報収集をしてから、赴くわけではありませんが、振り返ることで、また新たな知識と現代のお寺の事情について勉強できるのはとても有難いことです




こちら、玄関の前には、青銅の聖観音さま。
納骨堂に参拝される方をお出迎えをし、お見送りをする天使さまのようです。

東福院のご朱印ですが、とてもバランスがよく、達筆で、個人的にすごく好きな1枚。



さて、四谷巡礼の最終札所。
四谷から信濃町にかけて、歩いてきました。
四谷界隈の中でもこの「顕性寺」に面する戒行寺坂は、右も左も寺、寺、寺…。
日蓮宗、曹洞宗、こちらの真言宗、宗派を問わず、多くのお寺が並んでいます。

そのなかでも、こちらの「顕性寺」。
小さな間口の奥まったところに建物があるので、一見通り過ぎてしまいました。
隣には、「妙蓮寺」という保育園も併設した大きな日蓮宗のお寺もあるので、
そこと間違えてしまい、少しの間ウロウロ、きょろきょろ。

よく見ると、お寺の御堂がありました。


1階が庫裏で、2階が本堂でしょうか?
土地の狭い東京ならではの、御堂の造り。裏にはお墓もありました。
奥まっているので、分かりづらいのが残念ですが、とても存在感があります。

さて、外苑東通りを出ると、もうすぐそこは、信濃町駅。
さまざまな宗教法人が混在する、この道はすこし不思議な“気”のようなものを感じます。





外苑前と原宿の真ん中、ちょうど國學院高校の真裏に位置する「龍厳寺」。
すぐ近くに外苑西通りや青山通りが思えないほど、ひっそりとした丘。
ついさっきまで、国立競技場と神宮球場の歓声に包まれていたとは思えないほど静か…。


インターホンを押して、境内には入らせて頂くと、とても緑豊かで昔ながらのお寺。
特にキレイに整備されているという印象はなく、今流行りの「ありのままに」といった感じ。
この「ありのまま」感が、逆の表現をすると、鬱蒼としていて、何かが出てきそうな雰囲気で少しだけ怖い…。

なにか強い「気」のようなモノを感じるお寺です。


こちらのお寺は、弘法大師のゆかりの地をめぐる札所なのに、なぜか「臨済宗」。
明治期に改宗するお寺も多かったとあるので、そのうちにひとつかと思いきや、創建された江戸時代から臨済宗のようです。

禅宗の寺院は、修行は厳しいことが有名ですが、信仰については、あまり強く縛らずに自由度が高い宗派というイメージがありますが、(※それはただ単に父がそうだからかもしれませんが…)真言密教の場合は、「秘密の教え」というほど、教団内部で信仰を深め、修行・鍛錬を重ねて、仏の智慧を悟る宗派であると思っていました。
そのため、八十八カ所巡りはあくまでも、真言宗の寺院のみと思い込んでいたので、とても意外な発見でした。

わたし自身が面倒くさがりな性格なので、各寺院が何派で…どうだ...というところまでは、調べてはいませんが、宗派の違いはちょっと驚いたので、今後はその点にも注目して巡礼をしてみたいと思います。




梅雨の中休み。スカッと青空と、照りつける太陽。
夏らしい季節の訪れに心躍らせながら、向かったのは世田谷八幡宮。




世田谷の住宅街の中に、忽然と現れた、大きな鳥居。
鳥居の先から感じられる、神聖な空気。
目に見えない"なにか"が、わたしのからだの内側に語りかけてきます…。

吸い込まれるように、この鳥居をくぐり、本殿をお詣りすることにします。

真夏日であったこの日、30度を超える猛暑の中、ここの境内に入ると、とても涼しい。
豊かな草木と土壌が、日頃の雨をたっぷりと吸い込み、ちょうどよく冷やしてくれているのでしょう。
自然の摂理というのは、なんてすばらしいのだろうか?

人間が"欲"を出さずとも、すべては最初から持ち合わせているのに…。
なんてことが、ふと頭の中に浮かびました。

というものの、、
わたしも"欲"の塊。
お腹空いてなくても、なんか食べたいし、美容器具とか、本とかすぐに買っちゃうし。
いつも、連休に行く旅のことばかり考えているし…。

まぁ、そんな"欲"とのお付き合いが、人間としての生まれた運命(さだめ)なのでしょう。



そんなことを考えながら、とぼとぼ歩いていると、アコースティックギターを抱えたひとりの青年。
きっとこの景色に合わせて用意したであろう、作務衣と麦わら帽子。
そして、この青年に「キャッ!キャ!」と携帯カメラで撮影をする、女子2名。
青年も随分決めこんだかんじで唄っているので、これはPV撮影かな?

なんだか、淡い青春の1ページを覗いているようで、少し恥ずかしい気持ち…。
でも、こののどかな雰囲気がまた心地よいのです。


女子たち、こっちの角度も味があるんだけどなーー。

さてさて、いよいよ本殿です。
木々の緑と社殿の朱。そこに日向と日陰のコントラストが重なり、すばらしい景色。
わたしが想う、誇り高きJapanese Culture(日本の文化)が、まさしくこの光景なのです。
京都や奈良がもちろん好きだけれども、東京にだって、観光地でなくたって、あるのです。
外国人の方にも伝えたいけれども、まずは日本人に目を傾けてほしい。
本当に心からそう想います。

の世田谷八幡宮の歴史を、少し紐解いてみましょう。
時は、寛治5年(1091年)。後三年の役という戦(いくさ)が、東北地方を舞台にありました。
これは、平泉の繁栄で有名な奥州藤原氏が台頭することとなったきっかけとなった戦いです。
そこで活躍をした、源義家(のちの源氏の名声を高める礎とも言われている)が、豪雨に会い、天気回復を待ったのがこの地であり、日頃氏神様としている豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をお祀りしたことで、創建されたと言われています。
しかし、江戸時代に刊行された「江戸名所図会」において、「義家勧請と云ふこ事疑い少からず。」との記述があることからも、信憑性としては曖昧で、実質的な創建は、天正15年(1546年)に世田谷城主7代目の吉良頼康が社殿を再興させたとあります。



世田谷城跡のすぐ近くということもあって、長年この地を守り続けてくれている世田谷の氏神さまです。
さて、神社の境内をお散歩していると、こんなところを見つけました。





なんと、、土俵。
意外と!?きちんと整えられている土俵は、いかにも年季が入っているような雰囲気。
まわりを囲む石段は、どうやら観客席になっているようで、まるで日本版コロッセオ。

「シコ踏んじゃった」という映画を思い出します。
久しぶりに観て観ようかなっ。。

他にも小さな泉と社(やしろ)が癒しの「厳島神社」。



なんだか、このサイズ感が妙に可愛らしい…ちっちゃな日本。

池には鯉や亀もいて、グワッ、グワッとカルガモちゃん。
子供も夢中になっちゃう、絶好の遊び場。

もし子育てするなら、こういう場所が近くにあるといいなーと思います。
太陽、水、大地、そして草木の呼吸によって生かされている、わたしたち動物。

住宅ばかりで、人口密度も高い世田谷だけど、共存共栄のこの世の中を教えてくれる場所です。。




三田界隈の御府内めぐり。
目的の寺院が近いので、とても巡礼しやすいです。

次に訪れたのは、宝生院の並びに位置する大聖院。
土地の形状が敷延(道路と接する部分が 路地状になっている土地)になっており、
建物が奥まっているため、なかなか場所が見つかりづらいです。

東京の寺院は、都市開発の影響か、土地の権利に影響か、はたまた不動産所得に関することか、
境内・建物の面積がとても小さく、ちょっとお金持ちの豪邸のような一般的な民家のような造りが多いのが特徴です。

江戸時代の檀家制度によって、民衆が寺院の檀家になることによって、戸籍を管理していた…。
、、とたしか日本史の授業で勉強した記憶があります。

主には墓、戸籍、葬祭などを行う、地域密着の寺院がメインのため、このように小ぶな寺院が多いのでは?と推測をしています。

そして、近年ではお寺の経営も厳しいと言われている時代。
いかにも「東京ならでは...」という土地の活用。いろいろと考えるものですね。



なんと、御堂が鉄筋コンクリート造のマンションになってる・・・。
しかも、6階建てくらいはありそうだし、パッと見、1フロア3~5住戸は確保できそうな床面積。
なるほど、、収益不動産を建てて、賃料収入で補填ってことですね。

わたしも日頃は、不動産会社で働いているので、もっともな不動産活用方法ではあります。
この場合、税金はどうなるのだろう…。
ちょっと調べてみると、どうやら、消費税、登録免許税、印紙税は非課税のようです。
しかし、これが収益事業となると、法人税の納税義務があるらしい…。
そりゃ、そうですよね…。

これは気になるので、改めて、調べることにします。
こちらについては、本業のコラムに掲載しようかな?
寺の娘が語る「宗教法人と不動産」なんて…笑

なんだか世知辛いというか、なんというか、
わたし自身、お寺の学びも好きだし、商売も好きだし、なんとも言えませんが…

「うーーーーーん。」という感じ。








国立競技場から外苑前方面へ。
この日は、旧国立競技場の最期のJリーグ戦。
サポーターの声がこちらにまで響くよう…。

巡礼を重ねていると、いろいろと見えてくることがあります。
例えばね、ここの建物のように、ピンク色の壁面や柱、黒い格子。コンクリート造かしら?
関東に多いと思われます…。このタイプの建築用式。
当時の流行りでしょうか?
ちょっと調べて見たものの、真相は分からず。。


こちらのお寺、この日はお葬式が行われていました。
檀家寺院の日常生活。
寺族の忙しさは十分承知ではあるものの、せっかく来たので時間を見計らうことに します。

青山方面へ。
てくてく歩いて行くと、なんだか見覚えのある看板とお店の名前。



「アメリカンクラブハウス」
気になるから入ってみました。

昔ながらのアメリカンダイナーといった感じで、60歳は当に過ぎているだろう、おじいちゃんコックさんとウエイターさん。
さっくっとシーフードカレーを頂いて、これからの予定と地図をチェックしてお会計を。

すると…
やっぱり...
ショップカードには姉妹店の記載がありました。

「YUGAWARA」

どうも見覚えがあると思ったら、やはり地元にもありました。
どうやら姉妹店も合わせて、3店舗。
もう1店舗は、都立大学駅にあるそうです。
またしても、家が近場…。こちらのお店には深いご縁がありそうです。笑

さて、かなり脱線してしまったので、
お寺に戻りつつ、巡礼を再会することとします。

お葬式も無事に終わったようで、少し落ち着きを取り戻したお寺。
さっそく、御朱印を頂きにいくと、とても感じのよい娘さんでしょうか?
忙しいにもかかわらず、笑顔でご対応を頂いて、本当にありがたい...。




こちらのご本尊さまは珍しく、如意輪観音さま。
坐像または半跏像で、頬に手を当てて、思惟なさるそのお姿は、わたしが最も好きな仏像です。
過去・現在・未来を司る仏さまのなかでも、現在を司る観音さま。
なんだか、一番近い気がするのかなー。
ご本尊さまを観せて頂くのは、さすがに気がひけてしまったので、どんな観音さまがいらっしゃるのか、想像を膨らませながら、お寺を後にするのでした。





わたしの「江戸御府内八十八カ所めぐり」記念すべきスタートは、こちらの宝生院。
増上寺での寺社フェスを終えて、まずは三田界隈の寺院から巡礼をはじめました。

頼りとなるのは、「東京お遍路 大江戸めぐり」という本と、携帯電話の地図。
図書館で見つけたこの本。地域別に寺院が掲載されており、可愛らしいイラスト付き。
はじめてのお遍路で、若い女性にとても読みやすい一冊です。

お遍路というと、どうしても第一線を退いたご年配の方々のイメージが強いのですが、
この本と一緒なら、なんだか安心です。

そしてお供には、スマホとipad。
住所を入力して、目的地に向かいます。GPSで位置情報を確認しながら進めるのは便利です。

しかし、第一目的地の宝生院。
たぶん地図上では合っているものの、まったくそれらしい建物が見つからない…。
しかも、ひと山登っているので、これまた辛いかんじで…。
どうやら、この山の下だったようで、出だしから道を間違えてしまうという前途多難なスタート。
まぁ、そんなことも楽しさの一部であります。


山の下に降りてみると、やっと見つかりました。
瓦屋根に漆喰の壁。こぶりな本堂とその横には母屋。
休日の午後、人気のない小さな寺院は、ちょっとどうしたらよいかわからない…。

でも、ここで行動しなければ、一向に巡礼が進まない…ってことで、
思い切って、母屋に「ピンポーン」。
すると、女性が出てきて、対応をしてくれました。

待っている間に境内の散策。
真言密教ならではの、梵字。そして、とても味わいのある漆喰の欄間。
明治期くらいの建物でしょうか?とても素敵です。





スタートは、もちろん高野山別院でしたが、記念すべき1つ目。
これから86か所、地道に根気よくお参りを続けていきたいと思います。