世田谷八幡宮。

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梅雨の中休み。スカッと青空と、照りつける太陽。
夏らしい季節の訪れに心躍らせながら、向かったのは世田谷八幡宮。




世田谷の住宅街の中に、忽然と現れた、大きな鳥居。
鳥居の先から感じられる、神聖な空気。
目に見えない"なにか"が、わたしのからだの内側に語りかけてきます…。

吸い込まれるように、この鳥居をくぐり、本殿をお詣りすることにします。

真夏日であったこの日、30度を超える猛暑の中、ここの境内に入ると、とても涼しい。
豊かな草木と土壌が、日頃の雨をたっぷりと吸い込み、ちょうどよく冷やしてくれているのでしょう。
自然の摂理というのは、なんてすばらしいのだろうか?

人間が"欲"を出さずとも、すべては最初から持ち合わせているのに…。
なんてことが、ふと頭の中に浮かびました。

というものの、、
わたしも"欲"の塊。
お腹空いてなくても、なんか食べたいし、美容器具とか、本とかすぐに買っちゃうし。
いつも、連休に行く旅のことばかり考えているし…。

まぁ、そんな"欲"とのお付き合いが、人間としての生まれた運命(さだめ)なのでしょう。



そんなことを考えながら、とぼとぼ歩いていると、アコースティックギターを抱えたひとりの青年。
きっとこの景色に合わせて用意したであろう、作務衣と麦わら帽子。
そして、この青年に「キャッ!キャ!」と携帯カメラで撮影をする、女子2名。
青年も随分決めこんだかんじで唄っているので、これはPV撮影かな?

なんだか、淡い青春の1ページを覗いているようで、少し恥ずかしい気持ち…。
でも、こののどかな雰囲気がまた心地よいのです。


女子たち、こっちの角度も味があるんだけどなーー。

さてさて、いよいよ本殿です。
木々の緑と社殿の朱。そこに日向と日陰のコントラストが重なり、すばらしい景色。
わたしが想う、誇り高きJapanese Culture(日本の文化)が、まさしくこの光景なのです。
京都や奈良がもちろん好きだけれども、東京にだって、観光地でなくたって、あるのです。
外国人の方にも伝えたいけれども、まずは日本人に目を傾けてほしい。
本当に心からそう想います。

の世田谷八幡宮の歴史を、少し紐解いてみましょう。
時は、寛治5年(1091年)。後三年の役という戦(いくさ)が、東北地方を舞台にありました。
これは、平泉の繁栄で有名な奥州藤原氏が台頭することとなったきっかけとなった戦いです。
そこで活躍をした、源義家(のちの源氏の名声を高める礎とも言われている)が、豪雨に会い、天気回復を待ったのがこの地であり、日頃氏神様としている豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をお祀りしたことで、創建されたと言われています。
しかし、江戸時代に刊行された「江戸名所図会」において、「義家勧請と云ふこ事疑い少からず。」との記述があることからも、信憑性としては曖昧で、実質的な創建は、天正15年(1546年)に世田谷城主7代目の吉良頼康が社殿を再興させたとあります。



世田谷城跡のすぐ近くということもあって、長年この地を守り続けてくれている世田谷の氏神さまです。
さて、神社の境内をお散歩していると、こんなところを見つけました。





なんと、、土俵。
意外と!?きちんと整えられている土俵は、いかにも年季が入っているような雰囲気。
まわりを囲む石段は、どうやら観客席になっているようで、まるで日本版コロッセオ。

「シコ踏んじゃった」という映画を思い出します。
久しぶりに観て観ようかなっ。。

他にも小さな泉と社(やしろ)が癒しの「厳島神社」。



なんだか、このサイズ感が妙に可愛らしい…ちっちゃな日本。

池には鯉や亀もいて、グワッ、グワッとカルガモちゃん。
子供も夢中になっちゃう、絶好の遊び場。

もし子育てするなら、こういう場所が近くにあるといいなーと思います。
太陽、水、大地、そして草木の呼吸によって生かされている、わたしたち動物。

住宅ばかりで、人口密度も高い世田谷だけど、共存共栄のこの世の中を教えてくれる場所です。。



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